私立学校も公立学校も教員という職業自体には差異は無い。
しかし、公立学校の校長経験者が私立学校の「教員研修会」に出講要請が掛かることはあまり聞いたことが無い。小生だけの情報狭窄が理由になれば、それはそれで善しとすれば良いことである。が、研修会の雰囲気は、やっぱり異文化の匂いがしないでも無かった。
言い訳ではないが、聴講席が妙に遠く感じたのを老体が全身で感知していた。
夜になると咽喉(声帯)に違和感があった。必要以上に声帯に力が入って発生した後の声のかすれを症状として呈していたのである。そんな状態での講演では、聴講生の方が耳触りの悪い声を受け止めなければならないので「講演の成果」を追究するどころではない。自らの結論は容易にだせるほどの講座となってしまった。貴重な時間を無駄にしてしまった反省だけが脳裏を駆け巡っている。
教師力の本質は「選ぶ力を持った子どもたちを育てあげられるかどうかに係る」と断言して演題に応えて講座は終えた。後味の悪い「貧相な講義」の責任には穴埋めの仕様がない。
追い打ちを掛けられたような光景が浮かんで来た。当事者には全くそんな意思表示は無いことは明らかである。
講演を終えた小生の所に一人の女性教員が近付いて来た。
「これは2002年8月6日、前任校での研修会場で角田先生から紹介された本です」と言いながら手に持っている絵本を差し出した。先生が「長期休業が始まる前日(=終業式)に校長先生として読み続けられた実践から学びました」。それからは、同様に終業式の後の「学級の時間」には決まって読み続けています」と話してくれたのである。驚いた!!そして、感動した!!
沢山の学校(=絵本は小学校だけに使用される専売特許ではない)で、絵本を読むので、この教師の前任校であったとは確かな記憶はないが、小生の「実践の目的」をここまでしっかり記憶してくれているとは感無量であった。
講演終了直後の自己嫌悪感にも似た症状には、この11年ぶりの「絵本」ストーリーは特効薬の如き効き目を感じてしまった。11年前に小生を広島市に招請された原田備子校長先生の「私は種を蒔きしたよ。後は頼みます。」と後輩の西川雅子校長先生に託された言葉を反芻してしまった。
なぎさ学園小学校に出講しなければ、「種が蒔かれて芽が出て・・・」の経過を知ることも無かっただろう。拙い講義をした割には「蒔いた種から芽が出ている」ご褒美の実践を頂戴したのは、何とも皮肉なことではないかい?(笑)
心して将来の成長を見守りたい。好機に出会えたことに感謝である。
※お知らせ:
今回の(広島市)なぎさ学園小学校での教員研修に関してのレポートは出来上がり次第、新ブログ『寸心紀行』(右欄内の該当事項をクリックして)にて、近日中にご紹介いたします。覗いてみてください。
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