この観戦は何倍も疲れます。
43歳で「教壇生活」から離れました。その後の「授業をする」生活は、要請か補欠のためのモノであって年間計画で実践するモノではありません。最近では、全国から「授業をして見せてください」の呼び声も多くなり、9月には広島市の小学校で連続して「道徳の授業」をすることになっています。摩訶不思議な現象に、当の本人が最も驚いています。
「授業で人間性を育てる」と豪語した教員時代です。
42歳までの教員の下で「野球よりも中学生としての勉強」を優先させた指導を展開した教室にいた一人がこの新聞記事の主役です。久しぶりに東京・神宮球場まで応援に行きました。観戦と言うきれいごとではありません。この選手と同一環境(=球場=試合)に入ると走馬灯が急回転を始めて「あの日々」の師弟関係になってしまいます(笑)。
ブルペンのすぐ傍の席だったので、試合前に金網越しに声を掛けました。
この選手がまだ若い頃には「見えないように・球場に来ていることがわからないように」するのが苦労でした。観戦して「勝った」ことが少なかった理由もわかっていました。球界の話題になる年齢まで達しているので、もう余計な気遣いは無用です。昨日は直ぐに「来ているぞ!視ているからな!」の発破を掛けるべくブルペン脇で仁王立ちにして声を掛けました。周囲の歓声に消されて呼びかけるこちらの声が届きません。やっと気づいたのでホッとしました。
観客が驚かれたようです。
小生の方に向かって「先生、有り難うございます」と最敬礼をしたからです。「頑張れよ!」と声を掛けて自席に戻りました。試合開始に備えてベンチに戻りながら、今度は座席に居る小生を探し出して、再度の最敬礼です。周囲の観客に異口同音に聞かれました、「どんな関係ですか?」と。中学校時代の教員と生徒の関係だと答えると、一人の男性は「珍しいですね」と言いながら、「多くのプロ野球人たちは高校野球の監督さんとの関係は口にしますが、中学校の野球部の指導者との関係は聞いたことが無いですよ」と話し続けて「羨ましいですね」と締めくくりました。
同級生(=中学時代のチームメート)も来ていました。
グランドから客席に向かって挨拶している選手(友人)を確認して直ぐに、最敬礼の相手が誰かがわかったと自席まで来てくれました。試合が始まりました。中学生時代の投球テンポの癖は未だに抜けきっていないので、気が付けば「無口になって腕組みしている怖い先生の顔つき」になっていたようです。だから、疲れるのです。
常磐電車の時間を気にしながら最終回まで観戦せずに地下鉄に乗りました。
上野駅から特急電車に揺られ心地よい疲れでうとうとしていたら到着です。留守番をしている妻からコールです。到着時刻直前の目覚ましコールでした。降車駅からは歩いて5分の距離です。涼しくなった夜気が興奮を冷ましてくれるには短か過ぎる距離です。そんな贅沢な心境での帰宅でした。
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