褒める人がいれば、貶す人がいる。大記録が出ても称賛を添えて認知する人がいると思えば、ケチをつけないと認知できない人もいる。これがオトナの言葉で表現すれば「世の常」なんでしょうかね。
歩きながら老妻との対話を続けるには説明を要することが多い。
日本人野球選手が野球の本拠地で大記録を達成した。しかし、この話題には野球音痴の老妻でもわかるようなので対話は弾んだ。この記録にでもケチをつける輩がいると知ったのはネット情報だった。大リーグのプライドもあるのだろうが、国民感情としては合点がいかない。数字が示す結果にはケチの付けようがないではないか!誰にも負けないほどのこの選手のファンではない小生でも憤慨するのだから、何事にも賛否両論があることをしみじみと実感している。
同じ野球でももう一つの同一の話題は高校野球である。
この話題にはプレー上の選手の個人スキルが関わるので老妻の理解を得ることは不可能と判断した。今夏のTV観戦時間が異常に多かったのは何年振りだろうか。
ちょっと気になるチームもあったことは事実である。「勝つためには手段を選ばず」という哲学を実践しているとは思わなかったが、「そこまでやるか!?」と訝しい思いで画面に集中したこともあり、視聴時間も延びた原因の1つになったのだろう。しかし、「そこまでやれる」高校野球選手が育っているのも、一方では大きな関心になったことも事実である。
この二つの話題がネットでは盛んに(勝手に)燃え上がっている。
老脳にもなると、勝手に燃え上がらないところが心憎いではないか!(笑)そして、冷静に考えてみると論争の争点が違うことに気付くのである。また、ハッキリ言えることは「スポーツマンシップ」という篩いにかかっている現状であると認知すれば、やっぱり人情論・感情論になっていることがわかるのである。
「禁止事項」であれば罰則は伴う。罰則の存在しない禁止事項などはない。それは申し合わせ事項である。そこには常識と良識というモラルが確立されることを期待するしかないだろう。個々の選手や指導者の人生哲学に寄与する領域である。敬愛してやまない詩人・坂村真民氏の「詩(うた)」を真似て作りました!
二度とない人生だから
小さな勝負に命を賭けることのないように生きたい
あと1週間ばかりで9月を迎える。
退職者人生にも、「請負業務」の再開が待っている。その前哨戦として今日は、神奈川県横須賀市教育研究所に出講である。鈍ってしまった老体の完全復活は無理であるが、それなりの復元を期して責任ある講座で任を果たしてまいります。この講座の詳細は、新・ブログ『寸心紀行』(右欄枠内)紙上で報告します。
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