2013/08/23

「何事にも賛否両論」、これぞ世の常(?)

 

 褒める人がいれば、貶す人がいる。大記録が出ても称賛を添えて認知する人がいると思えば、ケチをつけないと認知できない人もいる。これがオトナの言葉で表現すれば「世の常」なんでしょうかね。

 歩きながら老妻との対話を続けるには説明を要することが多い。

 日本人野球選手が野球の本拠地で大記録を達成した。しかし、この話題には野球音痴の老妻でもわかるようなので対話は弾んだ。この記録にでもケチをつける輩がいると知ったのはネット情報だった。大リーグのプライドもあるのだろうが、国民感情としては合点がいかない。数字が示す結果にはケチの付けようがないではないか!誰にも負けないほどのこの選手のファンではない小生でも憤慨するのだから、何事にも賛否両論があることをしみじみと実感している。

 同じ野球でももう一つの同一の話題は高校野球である。

この話題にはプレー上の選手の個人スキルが関わるので老妻の理解を得ることは不可能と判断した。今夏のTV観戦時間が異常に多かったのは何年振りだろうか。

ちょっと気になるチームもあったことは事実である。「勝つためには手段を選ばず」という哲学を実践しているとは思わなかったが、「そこまでやるか!?」と訝しい思いで画面に集中したこともあり、視聴時間も延びた原因の1つになったのだろう。しかし、「そこまでやれる」高校野球選手が育っているのも、一方では大きな関心になったことも事実である。

 この二つの話題がネットでは盛んに(勝手に)燃え上がっている。

 老脳にもなると、勝手に燃え上がらないところが心憎いではないか!(笑)そして、冷静に考えてみると論争の争点が違うことに気付くのである。また、ハッキリ言えることは「スポーツマンシップ」という篩いにかかっている現状であると認知すれば、やっぱり人情論・感情論になっていることがわかるのである。

 「禁止事項」であれば罰則は伴う。罰則の存在しない禁止事項などはない。それは申し合わせ事項である。そこには常識と良識というモラルが確立されることを期待するしかないだろう。個々の選手や指導者の人生哲学に寄与する領域である。敬愛してやまない詩人・坂村真民氏の「詩(うた)」を真似て作りました!
 

二度とない人生だから

小さな勝負に命を賭けることのないように生きたい

 あと1週間ばかりで9月を迎える。

 退職者人生にも、「請負業務」の再開が待っている。その前哨戦として今日は、神奈川県横須賀市教育研究所に出講である。鈍ってしまった老体の完全復活は無理であるが、それなりの復元を期して責任ある講座で任を果たしてまいります。この講座の詳細は、新・ブログ『寸心紀行』(右欄枠内)紙上で報告します。





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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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