~風化してしまう哀しい出来事の記憶~
ラジオ番組で「今日は何の日」という1分間ぐらいのアナウンスメッセージ形式のモノがあります。昨日のことです。6月8日は何の日?歴史上にどんな出来事が起きたのか。『腰湯』を堪能しながら耳はラジオの声に集中していました。
大阪教育大学附属池田小学校事件と秋葉原無差別殺傷事件。
同一の日に「歴史上に残る悲惨な事件」が起きていたのです。双方とも強烈なインパクトがありました。4月に開校したばかりの茅ヶ崎市立緑が浜小学校の校長室で、テレビの中継画面に集中した時間を思い出していました。最後に勤務した小学校でした。その後、国や県、市から矢継ぎ早に「緊急通達」文書が届いたのです。児童生徒を護るべく行政の指導も例のない厳しいモノでした。
老脳の中で走馬燈はが回り続けました。
秋葉原の惨い事件。前日に小生はその事件現場には行っていました。歩行者天国ではなかったのですが、パソコン周辺器を購入のために行ったばかりの景色がTV画面に映ると背筋が寒くなってしまいました。罪を犯した青年の生い立ちを後で知りました。心痛の極みでした。
犠牲者のご家族や関係者の皆さんには、決して忘れることのできない日々なのです。しかし、「そんな惨い日」が、時の流れと共に、人々の記憶から薄くなり、消え去ってしまうと思うと本当に哀しくなります。風化してしまうほど辛いことはありません。
昨日という日(6月8日)は、そんな日だったのです。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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