2010/06/25

私は「65歳」です!



  ~17歳の女子高生の「詩」に誓う~
 6月23日は「沖縄慰霊の日」だそうだ。と言えば他人事のように考えているように誤解されそうですが、実は、違います。「叫び」なのです。
 私の父は沖縄・伊江島で戦死したのだそうです。その伊江島をこの4月に妻と一緒に訪れることが出来ました(既にこのブログ「旅日記」で公開済み)。我が子三人の家族達の配慮で実現した感動の3日間でした。そして、今年もこの「沖縄慰霊の日」を迎えました。昨日の新聞記事に掲載された女子高生の『平和の詩』を読みました。父が戦死したと言われる沖縄・伊江島全景が訪問したままの姿で浮かんできました。今まで、「戦死」という言葉に拘りがあり、「戦死したと言われる」と表現したくなる戦争遺児の心情は変えることが出来ませんでした。
 しかし、女子高生の詩を読みながら「変えてゆく」気持ちは、私達戦争遺児が最も努めなくてはならない事なのかも知れない、に変わりました。「変えてゆく」と考えるまで65年もの歳月が掛かったことになります。お恥ずかしい話ですが、今の今まで、「ひょっとしたらどこかで生きて居るんじゃないだろうか」と何十回、いや何百回も考えたモノです。嬉しいにつけ哀しいにつけ、女々しくも独りで思い込んだことがありました。妻も、子ども達も居て、孫にも恵まれながらも強欲な人情には「欠けている」モノを欲しがる習性があるのでしょうか。
 関係者や当事者が「変えてゆく」意識が無ければ変わっては行かないのでしょうね。
 毎年実施されている「沖縄慰霊の日」であるにも拘わらず、今年は格段の違いです。それは、「行きたくない・見たくない・認めたくない」と頑なに拒み続けてきた沖縄訪問を「わが子達に背中を押され」て実現させたからなのでしょう。現場に踏み込んで戦死の現場を自分の足で歩いて、現地のガイドさんから悲惨な状況もお聴きすることが出来たからでしょう。
 65年間もの「とき」が流れて、やっと「心のしこり」が溶けていくのです。そんな朝、孫世代の女子高生が囁きかけてくれた『変えてゆく』という詩に向かって心に誓いました。
私の心は私が『変えてゆく』ことしか手立てはないだよ、ね。素敵な詩をありがとう!『変えてゆきます』!!

追記:サッカー日本チームの決勝トーナメント進出の快挙。嬉しいニュースに『何かが変わる』予感を抱いて嬉しい朝です。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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