今朝の新聞第1面への広報でこの言葉を知った。妻との朝の会話の主になった。ふと昨日の新聞記事を思い出した。宗教学者の山折哲雄氏がインタビューに答えて次のように語った部分をご一読願いたい。
教育では生きる力の涵養が何より大事。しかし人間は死ぬ存在であり、いかにそれを引き受け、乗り越えるかを教えないと、生きることの尊さが分からない。戦後、そういう教育をしなかった。その結果か、20年ほど前から残虐な事件が起きるようになった。背景には平等幻想が崩れたことがあると思います。
戦後、アメリカから民主主義が入り、平等思想が高らかに唱えられた。それ自体は大切な考え方だが、日本では横並び平等主義がはびこり半世紀。身の回りを見渡せば才能、容貌、家庭環境など何から何まで違う。不平等に気づくと、他人と比較せずにはおれなくなる。いつの間にか「比較地獄」に陥った。
やがて「比較地獄」は「嫉妬地獄」になる。それが鬱積すると「怨念」なる。さらに高まると「敵意」になり、殺意に進む。殺意のエネルギーが他者に向かえば殺人、自分に向かえば自殺。一般の人は、殺人も自殺もできない。そこで、抑圧された「鬱」を招き寄せることになる。現代は「鬱の時代」といわれていますね。そこまで来てしまった。
サブタイトルの一つに ~平等幻想が崩れ「鬱の時代」に~ が妙に意識から離れず、今朝の新聞の「親子の日」に何となく連なってしまった。
記憶は小学生時代に遡る。母の日のカーネーションを学校で配っていた時代である。級友でただ一人、赤いカーネーションを貰えない友がいた。誰も追求こそしなかったがわかっていた。「かあさん ありがとう」と書いたカーネーションは母親が現存する証だったのだ。還暦同窓会で本人にそっと聞いた。「もう、忘れたよ」と笑った。
親子の日は「親」と「子」の共存が必要である。
勤務した小学校には児童養護施設から多くの子供達が通ってきていた。母の日も父の日も、本人の望むと望まざるとに関わらず存在する「日」である。どんな思いで過ごしていたのだろうと考えると胸が痛む。
5月第2日曜日~6月第3日曜日~7月第4日曜日と、連鎖する「~の日」。提唱者に苦言など発する意識はない。皆が平等に楽しく過ごせるために「廃止しろ」という極論も持ち合わせていない。
山折氏の「比較地獄」の表現を借りれば、比較力のパワーに負けない生き方を大人は子どもに教えるべきだと心底から感じる。自分の「親子の日」と他人のそれを比較しない訳がないのだから、これも鬱の要因の引き金に繋がるのかも知れない。「みんなちがってみんないい」(かねこみすず)の理念を、幼い頃にきちんと学んでおくことが重要ではないかとしみじみ感じている。
貧乏で育った小生は「金持ちにはない幸福がある」と無学な母親が言ったことを「しっかり受け止めて」成長してきた。他者と比較をすればするほど惨めになった日々は長かった。しかし、幼い頃に学んだ人生哲学の威力は凄かった。比較地獄に堕ちなかったからである。学歴が教えることではない。そんな深い学びを伝えてくれた母に感謝である。毎度の事ながら母のことを偲ぶには、反抗ばかりして困らせた思春期の自分に戻って素直に謝りたくなる。こんな思いに駆られた日が小生にとっては「母の日」である。「親子の日」についても、親の立場で考えてみなければならない齢になったようだ。皆さんも「○○の日」について考えてみてくださいませ!
今日は「教員採用試験受験者講座」の最終回です。横浜まで出講します。受講生の真剣な眼差しに圧倒されそうです。どれだけ支援できたか不安ですが、彼らの健闘を祈る心境です。早い昼食を済ませて行ってまいります!!
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