~疲れも頂点(笑)!~
日課の『腰湯』を満喫しながら浴室の窓から差し込む明るさに見とれる。今日も若干の寝坊だった。疲れは身体が正しくキャッチしているようだ。曇天らしく太陽光線は無いが明るさは十分である。雨戸を開ければ室内灯は不要な時間帯である。
浴槽の中で目を閉じる。座禅の境地に入る。全身に疲労感がのし掛かっている実感を持つ。全く休養日無しの1週間を振り返る。その間に四国までの往復もある。四国から帰宅しても翌日もその翌々日もフルタイムで「お仕事」が待っていた。
「お父さんは仕事が好きだからね」と忠告を受け入れられないフラストレーションを含んだわが娘達の声が耳に付いている。「いい加減にしろよ。歳を考えろよ」と叱りつける長男の声も心の中に響いてくる。
そんな浴室の朝から今日も一日が始まる。
今日は「梅雨の中休み」的な休日である。しかし、やりたいことが沢山ある。いや、やらなければならないことが山ほどある。と言うことは休養日にはなりそうにもない。小生の健康状態を心配してくれる妻やわが子達の「優しさ」には感謝はするものの、この気力と体力、そして意欲が続く内は彼らの思うような行動にはなれない。
四国は遠隔地。しかし、そこには小生如き老身にでも「待っている」人たちが居る。確かに居た。そこに感動と感謝が併存する限り足は止められない。そして何よりも「求められている幸せ」に酔うのである。後何年続けることが出来る?答えは「解なし」(笑)。
明日からまた連続する講演活動が待っている。束の間のフリーデーの今日は昼間の時間が最も長い一日(【夏至】)らしい。意識的に「休養する」態勢で時間を過ごすことにしよう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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