2010/06/20

やくざな「義理・人情」論


 ~お義父さん・お義母さん~
 今日は「父の日」だ、と。
 誰が決めたんだよ~、と、「肥後もっこす」の小生は喚きたい心境になってしまう。自分を産んで育ててくれた両親に「ありがとう」を言わせる日が「母の日・父の日」なのか。決して否定はしないが、成人して結婚できたわが子が、今でもそうであると思っているようでは大人社会の成熟は保障できない。
小生には結婚できた娘が二人と息子が一人いる。娘には必ず言う。「良い嫁」になれ、と。良い嫁になる努力の最低の条件は、「産みの親を忘れるくらいに尽くすこと」と言い続けてきた。
嫁ぎ先の両親は義父母。つまり、義理と人情で「親子」の関係が成立すると考えている。義理と人情というと「別世界」と誤解される。そうではない!!その本質すら忘れかけている今の大人社会が嘆かわしい。おまえ達のお母さんも、お父さんの家に嫁いできた40年前は「嫁」だったんだぞ、と。義理の世界でお母さんは頑張ってくれたんだぞ、と。「娘達に届け!」と願うばかりである。『育てたように子は育つ』という書物がまた、脳裏を掠めた。
 孫の守りに行っていた妻が、義理の娘(=「嫁」)からの父の日の贈り物を預かって来た。
 とっても嬉しい。義理だから人情味が無い?形式だけ?そんなことは全くない。受け取ってお礼の電話を済ませた。本気で嬉しいから本音でお礼を言う。爽やかな義理の娘(=嫁)の声を聞いて更に満足である。可愛い娘が一人増えたことを喜べる至福の時間である。
 妻に「おい、娘達は嫁ぎ先のお父さんに「ありがとう」が言えただろうな」、と問う。
愛娘達は実家の両親にはいつでも出来るではないか。時期がズレても言い訳がつく。言い訳は「義理の世界」では哀しい誤解になってしまう。そう言うことを心配するのが実の親である。
 変わりモン爺は、いつもこんな事しか考えていない。
教員の世界でも「義理も感じない」「ご恩も忘れる」教師達が増えたと嘆く輩が多くなった。それなのに、教師達は叫ぶ、「ありがとう」を言わせよう、と。誰に言わせるの?先生達に言わせたいの?教育の傲慢を感じる事が多い。所詮、公務員か!と嘯きたくなる夜である。
 親は喰わなくても子どもには・・・。そんな母親の時代だった。だから親への恩も成立したのだろう。とっくに亡くなった母親の顔を思い浮かべてしまう。
我が娘達からはきれい事は要らない。元気で嫁ぎ先のご両親に可愛がっていただければこの爺は何も要らない。
 可愛い嫁に貰った「父の日」のプレゼントは、いつ?どこで?ご披露しましょうか?

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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