2010/09/05

『脱帽する』の深意に達した心境



  ~ 意表の朗報に興奮しながらも・・~
 携帯電話のコールとメールが次から次へと押し寄せて、今朝まで続いた。少々寝不足でありながらも寝覚めの良い爽快な朝を迎えることが出来た。
 一時期に流行した(?)言葉に『想定外』がある。あんまり好きではなかったので使う時は意識をして「時代の笑いを得る」ための軽いタッチでしか使わなかった。しかし、昨夜の朗報をTV画面で「同時刻」で確認したときは「意表を突かれた」とばかりに自らを失うほどであった。まさに「想定外」であったと言わざるを得ない。
 昨日は急用が発生して朝から長男宅(茨城県土浦市)に向かった。そして、とんぼ返りで帰宅した。帰路の車中では試合の途中であった。「未だ投げていて欲しい」と願いながら酷暑の中でも自転車のペダルを踏む足に力が入った。帰宅して着替えもそこそこにTV中継を注視した。結果はご覧の通りとなり、もう涙までが汗と一緒に流れ落ちる始末。
 32年前(山本昌広は13歳、小生は34歳)。
 一人の教員が中学1年生と出会った。小生は山本昌広が在籍する中学校の教員だった。教室では英語を担当して、放課後は野球部の指導者として勤務していた。彼らが入学してくる1年前に市外転勤で異動して来たばかりである(巡り会わせとはこんなことだろう)。彼らの中学校野球部活動の3年間は「地獄を見る」(と表現した保護者がいた)練習を課した。野球の練習そのものも厳しかっただろうが、それ以外への指導が厳しかったことは自他共に認めるところである。
 今日はその一端(部員と家族に配った資料)をご紹介したい。
 当時は手書きであったがボロボロになってしまったので、原版にして保管している。野球の技術指導はほとんどと言って「していない」と言っても過言ではない。「した」とすれば「キャッチボールの基礎基本の徹底」と「確実なバントが出来るための基礎基本の徹底」だけだと記憶している。バッティング練習など選手にも記憶が無いかも知れない。厳しかったのはこの部訓に示しているような「心理面の成長」への指摘と指導だったと意識している。結果的には、この中学校の野球部からはその前後にプロ野球のドラフト選手(山本昌広以外に)が誕生しているのだから不思議で仕方がない。
感動の翌朝になって、更にもう一つの表現が迫ってきた。
 それは『脱帽する』という言葉である。
 師匠は弟子の成長に脱帽する。教え子の立派過ぎる成長を目の当たりに見せつけられると浮かぶ言葉は、もうこれしかない!願うは「驕ることなく」常に「人間らしい神経を使える」人生を、これからも全うして欲しいだけである。現役プレーヤーとしての勤務年数も有限である。プロ野球人としての「有終の美」を悔いなく過ごして欲しいだけである。脱帽したばかりの恩師が、未だグダグダと立派な教え子にお説教しているようでは本来の「脱帽する」ことの意味を理解したことにはならないようだ(笑)。許されたし!!
★『脱帽する』= ①敬意を表するために、帽子を脱ぐこと。②比喩的に、その相手にはとてもかなわないとして敬意を表すること。  (=【広辞苑】より)

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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