2010/09/12

何とか目処がついた『依頼原稿』 

  ~性分は治りません~
 先週の月曜日。猛暑に負けそうで昼寝を微睡んでいると携帯電話が鳴った。
名乗ると直ぐに(開口一番)、「申し訳ありません」であった。某出版社の編集担当者からの原稿執筆依頼の電話であった。締め切りが9月15日と言うではないか。殆ど断ることを知らない小生は多くの原稿の執筆や、思いがけない講演も引き受けてしまう。これは治せない性分である。つまり「生来のいい加減さ」で人生を歩んできたことを証明する一連の言動である。
 しかし、流石に締め切りまでの時間が余りにも無さ過ぎる。今回は天性の好い加減さも少々躊躇してしまった。同時に脳裏を「自信の無さ」が過ぎった。文字数も4000文字となると最低でも2週間は欲しい。活字にするための裏データ(裏付け)も必要である。必要に応じて、裏付けになるような取材の旅(時空)を確保したい場合がある。現地に行って臨場感と歴史的事実を調査することも必要になる。月曜日に執筆依頼を受けて締め切り日が来週の水曜日では、淡泊且つ在庫不足の小生の「脳味噌」では味付けどころか、それ以前の料理手法すら浮かんで来ない。
 丁寧にお断りしようと言葉を発しようとした瞬間、「先生、助けてください。依頼していた執筆者が病気で書けなくなったとの一報を今日受けまして・・・」との懇願する声が耳に付いてしまった。「担当者も大変な苦労だろう」、と脳味噌とは違う余計な人情脳が活性化してしまった(笑)。出来るかどうか自信など無い癖に「わかりました」とお引き受けしてしまった。自分でも毎度の事ながら自分の好い加減さに呆れつつも、電話を切ってしまったらもうどうにもならない。これが依頼を快諾(と依頼者は表現する)した。何と損な性分だ!と今更自分に八つ当たりしてももう断れない。
 今回の「裏付け」はここ数年で全国を駆け巡った各地の小中学校での『教育指導実践記録』(小生の「パソコン・フォルダー名」)からの検索だけである。5年前に遡り、実態と依頼原稿のタイトルとの照合をしながら「原稿にする」作業に終始するだけであった。
 早朝の歩禅も中断して執筆に集中。
今朝7時前に何とか字数を満足する粗末な原稿の原稿が出来上がった。これからは字数調整と内容の吟味である。15日の締め切りには確実に間に合う目処が付いた。ホッとしている。数日前から少し秋風が書斎を吹き抜けてくれたのも幸運だった。大した内容の原稿にはなれないが、「編集担当者の責任は果たせるのかな?」との能天気な観点で、今朝もまた好い加減人生は進捗中である。
 この記事が季刊誌として世に出たら、当ブログででも「悪戦苦闘の足跡」としてご紹介することにしよう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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