~備えあれば憂いなし~
今日の夕暮れは『独り歩禅』。
妻の体調が悪いわけではない。プリンターのインク切れと銀行のATMに行く用務があったので久し振りに独りで出掛けた。午後4時に出発した。玄関を開けた瞬間の陽ざしは真夏並み。躊躇いながらも時間制限のある用務なので一気に進み出した。そこで、夕陽が作る「日陰」の足が延びていることに気が付いた。
思った以上に「日陰・木陰」が多く、思ったほど暑さも感じなかった。
そうだよね~、9月だもんね。妻と二人ならこんな会話を交わしただろうが独り言にもならないので、快調に歩禅を満喫できた。
9月1日は「防災の日」である。『喉元過ぎれば熱さを忘れる』、のか。阪神淡路大震災の直後には「防災グッズと備蓄食料」とやらを我が家もどっかに(笑)きちんと備えていたと思う。食品には賞味期限とやらがあるので、もし、そのままに「備蓄している」とすればもう「被災に適する食品ではない」。テレビでそんな話題を見ながら妻と顔を見合わせて苦笑である。
天才は忘れた時にやってくる。
疑うこともなく長年信じていたこのフレーズ。天才は天災であることに気付いたのは何歳だっただろうか。「真剣に備えてないといけないな」と、毎年この日だけは考える。
昨日の新聞記事から写真版を掲載しました。自らは無頓着な爺がこんなことすることを昔流の日本語で「お節介」と言うのでしょうかねぇ~。我が家は不合格です!!皆さんの状況も教えて下さい。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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