2010/09/20

2944万人!の一人

 昨夜(9月19日午後6時過ぎ)のお月様です。写真では電線が邪魔ですが、とてもキレイな光でした。十五夜まであと3日ばかり。すすきと団子の似合う中秋の名月が楽しみです。

  ~「敬老の日」に思う~
 65歳以上の「高齢者」の数が2944万人、その内の80歳以上が800万人を超えたと、記事が語りかけ「高齢化が進行している実態」と締めくくりの表現となっている。小生にとっても数年前までは他人事に聞こえた「高齢者」という言葉である。しかし、自身も含んでいると自覚してみると妙な気分に苛まれてしまう。高齢化が進行していることが「迷惑な事態」に進行しているのではないかと疑心暗鬼の不安すらも募ってくる。
 母の日:お母さんありがとう!父の日:お父さんありがとう!
 響きも良く、明るい未来を感じる言葉ではないか。ところで、敬老の日:・・・・・・ありがとう!と言うのだろうか。誰が誰に向かって言えば、響きも良く明るい社会観を自覚できるのだろうか。高齢者の入り口に差し掛かった65歳世代の人たちの子育ては「じじ抜き・ばば抜き」の核家族世帯で、「団地スタイル生活様式」(ドアを1つ閉めたら社会と断絶できる)がもてはやされマイホーム主義なる「家庭中心」が優先され、周囲との関わりをできるだけ避けて「プライベート」を護ることのみに懸命だった。従って、『向こう三軒両隣り』意識の共同体が都会部だけに限らず地方都市でも氾濫した。「関係を持ちたがらない」証拠は、挨拶を交わすことも無い「無関係社会」を創りだした。
 「あそこのおじいちゃん、今日会ったけどお元気だったよ」「○○ちゃんのおばあちゃんが大きなバッグを持って帰って来たよ。どこに行ったんだろうね」等々、プライバシーに潜入するような話題が茶の間の団欒に色合いを添えていた時代はもう失せてしまったのだろうか。
最も衝撃的なニュースは、高齢者に近い「息子・娘」による、親の死亡を届けず親に支払われる年金を着服し続けている子世代が居ることが明るみに出たことである。哀しいご時世である。倫理観も道徳心も皆無と言っても過言ではあるまい。死亡している親御さんはどんな思いだろうか?胸も心も痛い。
「生きていて良かった、本当にありがとう」と、高齢者が親族や周囲に御礼を言える日。それが名称表現は適さないが「敬老の日」ではないだろうか。昨年から高齢者の仲間入りした新米としては生意気だろうが、こう考えている。
 「生かされている喜びを感謝の言葉に乗せて」改めて関係者全員に御礼を述べたい。
 そして、今後も、生きている限り、この「感謝の言葉」を元気で発することができるよう健康で生きていたいと神妙な面持ちで考えている「敬老の日」の朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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