~心温まる思いの20分間・・~
京浜急行・追浜駅に着く頃は「警報」が発令されるほどの降雨だった。小学校の授業研究会に出講のために茅ヶ崎の自宅を出る頃も雨脚が強く、駅近くの市営駐車場まで車で行くことにした程だった。家を出て直ぐ近くのバス停で近所の男性が雨の中バスを待っている姿を発見した。声を掛けて車に乗せて駅まで移動した。
小生は横浜駅まで行って乗り換える。同乗した彼は途中のJR大船駅で降りるとわかったので同行することにした。車の中が数分間、茅ヶ崎駅~大船駅間が13分間であるから合わせても20分間程度ではあったが話題がリアルだった。彼は後2日間で定年退職だと語り始めた。若い父親と思って接した(お互いの長男が親友同士)彼も仲間入りしたのか、と何とも言えない複雑な心境で彼の独演に耳を傾けた。あっと言う間の「旅の伴」であった。青森県のご両親のこと、今、近くに住んでおられる奥様のお母様の老齢化現象に苦労していること等々、尽きることなく語る彼の(全く抜けきれぬ)東北弁に時々は聞き返しながらも人柄の温もりと実直さを改めて感じさせられ、あったかい気持ちの時間をいただいたようであった。彼は「退社式」に出席するためであった。長い間の勤務、ご苦労様でした。別れ際に簡単な言葉でそんな労いの気持ちを伝えて別れた。
この小学校の研究会は、訪問回数を重ねている。学校の全体的な雰囲気にも慣れてきているので「楽しみと期待」が訪問毎に膨らんでくる。主体性のある進捗状況にホッとするやら嬉しくなるような時間を過ごして雨の上がった追浜を後に、車で送っていただいて大船駅まで戻ることが出来た。
そして、今日も同一小学校への連続訪問である。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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