2010/09/16

背中を流れる冷や水


 ~「今」の現象は「今」生まれたモノじゃない~
 何ごとにも言えるだろうが、一朝一夕に「何か」が出来るモノではない。昨日今日起きた事件や現象は、ずっと以前に原因があり様々な経緯を経て発覚したモノである。朝刊に新聞記事に目を通しながら遠くに住む孫達の将来を憂う気分になってしまう。
14日の朝刊、15日の夕刊そして今日の朝刊と共通意識を連ねる記事にゾッとしている。もう一つ言えるのは、この事象が単独で起きることにはならないと言うこと。つまり、総合連鎖で「どれ一つ取っても」成立しない「世の中現象」である。わが国の昨今の「日本列島動揺状況」を認知せざる得ない現実を考えれば考えるほど頭痛がしてくる。小学校教育への期待は大きい。長い間、学校教育の軽重は「進学や就職」のことを重視して来たので中学校や高校の優劣をその尺度で付けてきた。しかし、今、「子供達が狂いだした」とでも言いたいような見出しやその記事の内容に触れると「小学校教育」の重要性がやっと陽の目を浴びることになるのかも知れない。人間としての尊厳は生まれてからせめて10年間で育んで教える必要があると、持論を敢えて述べておきたい。
 孫(幼稚園・年中)から「敬老の日」に当たっての葉書が届いた。まだ、文字の読み書きもできない孫が幼稚園での指導を受けてスパッタリングとやらで「いちょう」の作品を葉書で送ってくれた。この孫も2年後には小学生となる。幼稚園に通い出して半年が経つ。集団生活もままならぬ全く『無垢』の園児が一歩ずつ社会生活に踏みだす練習が始まったようだ。幼稚園の先生方のご苦労を思いつつ感謝しながら葉書を見詰める爺婆である。3年生になる孫娘は封書で「お手紙」をくれた。小学校教育を受けて2年半が過ぎている。葉書と封書の2つの「こころの成長」に、学校教育の偉大さを痛感している。教育の威力をまざまざと見せつけられた気分である。孫達には、それぞれに葉書と封書で返事を書いて投函した。もうすぐ「敬老の日」?そうなんだ!そうなんだ!と何度も呟きながら「敬老の日の対象者」としては、孫世代の多くの子供達の将来を憂う気持ちになるのが辛い。
 
今日は予定では鍼診療日。出発時点(午前7時半)の強雨に雨中の遠距離運転に拒否反応を起こしたドライバーは相棒に相談もせずに断りました。皮肉なことにその後雨も弱まりました(笑)。ま、いいか!!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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