2010/09/24

『思い出』の人物

  ~その「お相手」は何も知らない・・~
 そんな思い出の人物っていらっしゃいませんか?
 恋愛の対象という人もあるでしょう。今回の新聞記事に登場した人物は、小生の『思い出』の人なのです。しかし、当のご本人様は小生など全くご存知では御座いません。
 23歳で高校野球の監督になった初心な時代に、和歌山県立簑島高校野球部の監督としてご活躍だった人物です。その他にも数名の『思い出』の人物として挙げさせていただきたい先輩監督人もいらっしゃいます。今朝はこの記事に気持ちが注がれ、若かりし日々の無茶苦茶な指導者だった自身を恥ずかしく思い出しています。
 神奈川県は高校野球のメッカの一つです。そんな聖地で教員稼業に就いた若い監督としては、無謀なほどの夢がありました。それは「県立高校」が神奈川県を制覇して甲子園に出場できること、でした。ここでは詳細が語れませんが、若い日々だからこそ「無謀なばかり」の夢を抱くじゃないですか!?その夢を託したくなるようなご活躍をされた監督が小生の生涯消えない『思い出』の人物なのです。決して、最初に勤務した高校が私立高校だったから考えた夢ではないことだけは添えておきましょう。
 ガン闘病中であることは「風の噂」で知っておりました。心の奥底に息づいている『思い出』の人物がこの記事で蘇りました。ひたすらに全快を祈る思いで記事を読みました。
※今日の夕刻は立川『響の会』秋季研修会に出講します。昨日からの雨模様と低気温への急変に老体の自律神経は正常に稼働してくれますでしょうかね(笑)。どちらさまも気温の変化に体調など崩されませんように!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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