~お彼岸の「中日」~
関東地方は朝から雲行きがおかしかった。
天気予報は午後からは雨と気温の低下という。早朝からの強雨のために定期鍼診療を断念したのが先週の今日。妻はどんなことをしても今日は診療所に行きたいようだった。7時半の出発時刻には茅ヶ崎では降雨の心配は全く無し。いそいそと老夫妻は出掛けた。
診療中から雨脚が耳に強く耳に響いてきた。二人が診療を終えて車に乗り込むのに2分と掛からない。しかし、今日はずぶ濡れになった。雷鳴と強雨の帰路を診療師も診察室の窓越しに心配していただいた。通過する途中の中小工場のある街並みの所では「排水溝」からあふれ出る雨水を見ながら、集中豪雨に対する「都会の弱さ」も感じながら恐怖心と半々の思いで車を茅ヶ崎に向けた。
自然災害の恐ろしさを垣間見た時間でもあった。
無事に帰宅してホッとして眠ってしまった。鍼診療の午後は気だるさとの共生であり慣れていたはずが、ハンドルを握る緊張感も加わったのか異常な疲れを感じたのも事実である。昼寝から目が醒めたのが午後3時過ぎ。寝過ぎて今夜の「寝付き」を心配しつつも降雨が峠を越したことにホッとした。
今年は諸々の条件で、お彼岸の「中日」を迎えている今日まで、まだ墓参を済ませていない。お墓を作ってからは初めてのことである。週末には、千葉の孫達と合流して墓参することにしよう。義父母も首を長くして待っていることだろう。
昨日との気温差が10度。肌寒ささえ感じる夕方である。これが通常の秋?
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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