2010/09/09

20数年前にタイムスリップ

昨日早朝の茅ヶ崎サザンビーチ。遠くに見える烏帽子岩は台風の来襲を気付いていたのでしょうかね?
 
  ~20年数前の「自分」と再会~
 昨日の気象はまさに異常そのもの。
 福井に上陸した台風が岐阜経由で東海へと、日本海から太平洋へと直角に進路方向を変えた?のだから、まさにアンビリーバブル!!
 昨日は久し振りに市内の中学校を訪問した。
控え室の校長室へご案内されて廊下を歩きながら職員室の中が「覗き窓」から見えた。突如、中からドアが開いた。出てきたのが20数年前に「新採用」だった教員。学年主任だった小生の隣席で1年間「見習い稼業」に精を出した教員である。20年の歳月は生まれたての赤ん坊でも「おとな」になる期間である。立派に成長した彼の堂々たる態度に思わず感涙を催した。
 誘われるままに職員室に顔を出してみた。
驚き!!同じ中学校で共に苦労した後輩がまたゾロ。懐かしい思いが感激の声となって職員室内が騒然とするほどであった。中学校教育畑で育った小生が、「教員の晩年」は教委と小学校であったので多くの後輩との直接的な接触は皆無であった。もう、すっかり「大昔の自分」を忘れていた小生に、彼も彼女も飛びかからんばかりに近づいて来て「懐かしいです。お久しぶりです。ご無沙汰しています」から、仲人を務めた教員も眼前に現れ、驚きのこだまは響くばかりであった。多かった言葉は「お元気そうで嬉しいです」であった。ちょっぴり時の流れを恨みたくなった。これは講演前の光景である。
 90分間の聴講は一種の修業とは言うモノの、小生は敢えて「拷問」とも揶揄するほどの時間でもある。話題を展開しながら、真剣に聞き耳を立てながらメモを取るあの当時の「若い教員」の姿勢に胸が熱くなってしまうことが何回もあった。
 講演を無事(笑)に終えて控え室に戻る。今回はこの中学校の保護者も参加する合同の講演会だったので控え室は保護者でごった返しであった。従って懐かしい旧友との語らいは殆ど出来なかった。しかし、久し振りに「心躍る」再会の機会になって、この老輩が勇気を頂戴した貴重な時間であった。
 帰路は、大雨洪水警報の中、教頭先生(彼も2つの勤務校で一緒に勤務)の自家用車で、冠水した道路を避けつつ長時間を要し自宅まで送ってもらった。車中でも(無口な)教頭先生と、お互いに若かった日々を懐かしんでの会話に花が咲いた。迷走台風の(迷惑な進路)温かい思い遣りに包まれ(笑)、楽しい半日を過ごすことが出来ました。やはり、自然現象には逆らってはいけないのだと感謝し直したことでした。
 後輩諸兄の今後の活躍を心から祈っている台風一過(?)の『重陽の節句』の朝です。
写真提供は小生のHPにリンクしている茅ヶ崎市在住の有名なカメラマンです。毎朝茅ヶ崎海岸の写真をHPで公開してくれています。どうぞご鑑賞下さい。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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