2010/10/31

新・歩禅記(36)

 ~ここは「茅ヶ崎」~
 久し振りの歩禅記。
 このブログは「歩きながら自らを顧みる」ためにネーミングして、反省する自らを記すためのコーナーなり。しかし、最近は殆どその主旨から逸脱することばかりで「反省」しきり。
 台風一過、と言えば透き通った秋空の爽やかさだったり、猛烈な暑さのぶり返しの筈。しかし、今日のそれは時期の遅さもあるのだろうが、どんよりとして風も冷たくて歳時記の雰囲気が出ない。
 しかし、陽ざしも無いので歩きやすいだろうとの前置きをして妻を誘ってコースを選定。
 1時間の歩禅に登場した風景がこの写真である。りんご(上)、柚子・柿・ミカン(下)がこんなり立派に栽培されていた。ここは列記とした我が居住地「茅ヶ崎市」である。サザンのイメージとは違うだろうが、間違いなく、拙宅から「歩いて行き着く」所の風景である。
 晴れていて、空気が澄んでいればミカンの木の上には富士山が見える。
 たんぼ道に出ると遮るものが無いので北風が少々冷たくも感じるが、汗もかかずに歩ける適温の歩禅であった。明日から11月。半ばを過ぎる頃、気温が下がり霊峰に積雪が目に付く頃になると、マフラーを首に巻いての歩禅になる。その頃の富士山の景色は正に絶景。歩禅記に登場することも多くなるシーズンが到来する。ご期待願いたい。今日の歩禅は9000歩。
 気分爽やかな日曜日の午後。少し、横になって休むことにしよう。

2010/10/30

窓を打つ雨音に不気味さを・・

~遅く起きた朝~
 昨日は午後から東京へ。
 重要な会議の後は、楽しい懇親会でした。8時33分の東京駅発の湘南電車。グリーン車はほぼ満席になって出発したのですが、次の駅(新橋駅)では、座れずに立ったままの乗客がありました。加算有料料金を支払って「立って」過ごすことは、小生のような貧乏根性の持ち主には到底容認できない現象ですね。かと言って、小生から立って席を譲る善行が出来ないのだから我が儘極まりない人生を歩んでいるんですね。
 その車内で、ふと、気付いたこと。
 それは、多くの男性乗客の顔が赤ら顔であったこと。つまり、金曜日の夕暮れは「一杯呑んで」のご帰還のサラリーマンが今も多いようです。サラリーマンではありませんが、その内の一人が小生でもあったわけです。連れの4人掛けに座っている会社員風は、呑み会の延長線「二次会」のように思えました。非常識な態度など全くありません。周囲に不快感を与えるような客でもありません。しかし、会話の内容は「職場の人間関係」であることがはっきり分かるような音量でした。聞くとはなしに耳に飛び込んでくる言葉には「海外経験」や「語学堪能」等々があり、世相を映しているのが良くわかりました。サラリーマンの悲哀?すら感じ取れました。
 そうすると職業病にかかってしまうのです。この会社員さん方(概ね40~50歳)は、帰宅すれば「父親」に変身することになるでしょう。わが子に「せめて英語だけでも」の思いが、実体験の上に成り立つ根拠を糧に、教育に心を痛めることになるのでしょうか。余計なお世話?そうです!これが病気だから仕方がないんです(笑)。外国語の習得には全く異存はございません。しかし、肝心な母国語を蔑ろにしているようでは本末転倒ですよ、とつい口について出てしまいそうになりました。
 4名とも大船駅で降車しました。
 "おい、座席ぐらい、元に戻して降りろよ!”と言いたくなったままの座席がそこにありました。
 他人様のことをとやかく言える立派な人間ではございませんが、社会の身だしなみは護りたいですね。かく言う小生も、全身を襲っている楽しかった市ヶ谷での懇親会の薬害(?)で良い気分になって茅ヶ崎駅で降車して帰宅してまいりました。
 その『結果』、今朝は遅起きであります。早起き爺にも、時々こんな朝があります。
 台風がどうやらこちらに向かっているようです。夕べの酔いを早く覚まして台風に備えることにしましょう。自然界には逆らえませんね。十分に気をつけましょう。

新聞記事は、おなじみの知人のコラムです。この表現そのものの「温もり人生」を歩んでいる立派な会社経営者です。中学校しか卒業していない、と言うご本人ですが、苦労の中から掴んだ「学び」で素晴らしい人生を謳歌している本人らしい記事です。全てが彼の経験から発する内容です。
 

 

2010/10/29

台風も日本列島に向かっている朝

こちらの「季節」が1週間早めの飛来だとか・・・。  ~あちこちから「季節」の情報が~

 新聞記事(上)によるとハクチョウの飛来も1週間早いらしい。どうやら今冬は、夏の酷暑を忘れさせるような厳冬が長期に渡って居座るらしい(勝手な「長期天気予報」)。「夏に負けてなるか」とばかりに厳しすぎる「冷え込み」を人間社会に知らしめるのではないか(笑)。

 先日の「次郎柿」の話題に添えて、「五角形の柿」は=ごうかく(合格)に繋がると言う話題を、新聞記事掲載のお知らせと一緒に地方の話題としてメールもいただいた。経済効果があることを祈りたい。

 プロ野球のドラフト会議の話題とは時差が随分ズレてはいるものの、ドラフト会議で球団を決めて入団した選手が45歳にもなって、明日からの日本シリーズに向けて調整しているという話題に触れて、地元紙に掲載された記事(右)を切り抜いてお送りいただいた方もある。「時代の流れ」の中に織りなす人間模様を感じているところ。
 この話題の主は小生の教え子として、このブログには再三登場している中日ドラゴンズの投手・山本昌(45歳)である。地元の皆さんにこの歳まで可愛がっていただいて、「来るべき所まで来た」選手である。
対戦相手がパ・リーグの千葉ロッテマリーンズなので、登板することがわかれば、千葉・幕張まで馳せたい気持ちで一杯である。しかし、企業秘密なのだろう。こちらにも分からないので、「千葉へ?名古屋へ?」と贅沢な悩みを抱えている幸せ者がここにいることを全国の愛読者に吹聴しておこうかな。
 ハクチョウもやって来たので冬は本番。そこに夏の季語にもなる「台風」が日本に向かっているようだ。ともあれ、奄美の皆さんの被災が重複しないことを祈るばかりである。季節の「切れ目」も無い「新時代」の到来なのか。ところで、今日は秋日和らしいですぞ。秋を満喫しておくことにしませんか!!
 
 





2010/10/28

早朝のラジオ番組に傾聴する

こんな感じの「初雪」景色が、1ヶ月も早く北海道では見られるのでしょうか?
 ~「無縁社会」という社会~
 背筋がゾッとするような造語ではありませんか。
 親の死亡を隠して「年金」を搾取する子ども世代。実は小生の世代がその「子ども世代」の頭である。義父の受給年金を思い出した。他界した義父は「志願兵」という経歴の持ち主であったために、戦地から生きて帰還しても「軍人恩給」を受給していた。厚生年金と合わせての年金受給者であることを知ったのもホンの僅かな期間であった。金額の多少ではないが年金額が死亡と同時に受給できないとなると、家庭生活の糧にしている留守家族としては少なからず動揺するだろう。届けさえしなければ受給の恩恵を受けられるとなれば、心意的には罪悪感を伴いながらも甘んじてしまう。社会の構造が「申請」から始発するとなると「申請があるまで」は行政は動かない。いや、動けない仕組みが定着してきたのである。こんな「小さな始発点」にも、いつのまにか日本人の道徳観や倫理観が失われて来てしまったようである。
 こんな「1つの」事象を例に上げても「無縁」という冷たい社会現象が浮かび上がってきてしまう。無縁とは「関係がない」、つまり人間関係が成立していないと言うことになるのであろう。親子の絆?家庭の絆?そこにも、「親子であろうが兄弟姉妹であろうが個人のプライバシーを侵してはいけない」との学習が妙に浸透してしまっていないだろうか?子ども部屋に親が入るのもプライバシーの侵害?こんな関係づくりでは「親子の絆」なんて風前の灯火になってしまうのは仕方あるまい。
 湯舟で半身浴をしながら、昨日から連続構成のNHKラジオ深夜便「明日への言葉」という番組に釘付けになった。特集番組名称は「無縁社会」である。ゲスト堀田力氏や吉永美智子(漢字表現は不明)氏の考え方に傾聴した。どうして「無縁社会」になってしまったのか?聞き手の質問に両氏とも苦渋の反応だった。しかし、流石の分析であり深く頷くばかりだった。
 朝食を済ませて、しばし夫婦でこの話題に花が咲いた。
 いつの間にか・・・・、いや、なるべくして到達した社会ではないか・・・と夫婦で交わす言葉にも憂いが積み重なるような思い気分になってしまった。滅入ってしまっては生きている意味がない、とばかりにパソコンに向かって読者の皆さんに本音を語りかけるのである。そして、身勝手にも「生きる力の復元」をしているのである。お付き合いに感謝しながら・・・。今日も元気で頑張りましょう!!やっぱり能天気な爺である(笑)。

2010/10/27

思わず苦笑してしまった!!


~夕刊の記事に我が身を映して~
 これは、お気に入りの夕刊記事の一つである。
 筆者と同年齢だから?そう言うわけではない。しかし、読めば読むほど余りにもそっくりな人生に驚いた。そして、例示の川柳に「身に覚えが」有り過ぎて苦笑してしまった。退職してからと言う日々は「同級生」との交際が希薄になっている。この年齢にもなると殆ど「同世代」と括ることで精神状態が落ち着くのだろうか。敢えて、交わる人の年齢も問うこともない。先だって、30年ぶりに再会した岡山の旧友と3時間余り「無為なお喋り」をしたのも、ひょっとすると「同年齢」という認識が無意識に気分を高めたのかも知れない。
 この新聞記事を読みながら・・・・。
 後段の部分。パソコンのデータの始末については、まだ真剣に追求したこともなかったので「ハッと」させられてしまった。筆者が保有するデータとは、質も量も比較にならないので話題にすることも烏滸がましいが、自分なりの処理が必要なデータも少々有るような気になってきた。
 取りあえず、パソコンの整理が済まないと簡単に死ねないぞ!ヘンなものを残したら、人生の最大の不覚?
 ここまでは言及できないが、個人データや第三者に漏れたらとんでも無いことになるようなモノは、小生にも存在していることは事実である。
 昨日の夕刊に苦笑した瞬間から現実の問題として、今朝は真剣に考える話題となっている。全国の読者に発信してみたら、どんな反応があるのだろうか。そんな茶目っ気で記事を紹介してみたである
。しかし、良く考えてみると、肝心の66歳世代の方々は読者としても少ない・・・・(苦笑)。同世代((笑)の読者の反応を待っていることにしよう。

2010/10/26

「もう一度会いたい先生」、って?

 ~「ドキッと」した記事~
 どんよりとした空模様の朝、衝撃が走る。
 今日一日のスケジュールも「気の向くまま」の毎日サンデー人生を生きる老輩には天候がどうも気分を左右させるようだ。今にも降りそうな空模様は苦手である。そんな朝、この新聞記事を読みながら後段の「誠実に勝る授業法なし」と断言した新聞記者の表現に「ドキッと」してしまった。
 現職を辞して、全国放浪の旅(?)を、人生終章の「天職」を得たとばかりに意気込んで「授業論」を説いて回っている小生には、ついぞ、忘れてしまっていたのが、この「授業論の基礎基本」であった。教員ではなく新聞記者だから・・・と遠慮する表現と相まって、このさり気ない結論に「ドキッと」したのである。   もう一度会いたい先生、て?どんな先生なんだろう、と自問自答してみた。そして、平凡な質問もしてみた。「キミは、もう一度会いたい先生になっていると、思うか」と。哀しいほどに返事の弱さを感じた。ウケを狙って、教室中が爆笑することが「明るく楽しい授業」とばかりに「腕を磨いた」若かりし頃の自分の姿がイヤと言うほど鮮明に浮かんできたではないか。もっとボンヤリ浮かんで欲しかった(笑)。
 11月に入ると、直ぐに「天職」(笑)の再開である。
 授業研究のノウハウを説くことになっている。授業後の検討会での具体的な指導も要求されている。指導法という業界用語も何だか胡散臭くなってきた。どうしようか?!老後の楽しみ(失敬!)の授業研究会への出向も二の足を踏みそうである。
 と、ここまで自分の素性を自然に「言葉で綴る」と、新芽が生えてくるのが可笑しい爺でもある。
 この記者が述べていることは、正しく「人生論」でもある。誠実に生きることは人生の基本である。授業研究会に出向しても、小生の「今のこの誠実さ」が消えるわけではあるまい。授業に対する「思い」と「夢」は格好付けて論じているわけではない。素直に小生の考え方を「指導法」として論じているのだから躊躇うことなんかないよ!(と、自分界独自の「天の声」)
 能天気な人生を歩んでいる当人も、しかしながら、この記事の訴える内容には十分な同意を持ったことは事実である。もう、すっかり曇り空から晴れ間が覗くような気分になった(羨ましいほどの性格でしょ?)。
 全国の「先生方」、自問自答ぐらいしても損はしないかも知れませんぞ。

2010/10/25

豊橋から特産品が届きました。

~柿食えば・・・祖母を思い出す~
 母子家庭で育った小生に、強烈な父性を感じさせたのが怖い祖母の存在だった。夕食前にコップ一杯の「焼酎」の呑む祖母だった。
 その祖母の大好物が柿。
 「焼酎と柿」は、「明。こうてこい(=買って来い)」と良くお使いに行かされた。幼心に覚えていたのが柿の種類だったことを知ったのはずっと後のこと。「ふゆがき」「じろがき」との祖母の発する言葉を真似て「間違いなく」買って帰ったものだった。
 ふゆがき=富有柿  じろがき=次郎柿
 殆ど孫達の口にはいることもなく祖母が美味しそうに食べていた光景はぼんやりとではあるが記憶に残っている。皮肉なことに(笑)、DNAは確かに伝わっている。「焼酎と柿」への思いがそっくり孫の小生の嗜好ではないか。苦笑いもしたくなる。しかし、これは正に隠せない。
 柿の甘さに郷愁を感じるのは、怖くて苦手だった祖母と一緒に食しているように思えるからであろうか。不思議な心境になるのが不思議である。祖母の発した古諺がいくつも脳裏を駆け巡る。「桃栗三年柿八年」の意味も教えてくれた。柿がそれだけの年数を掛けないと成木にはならないことも覚えている。戴いた柿を仏壇に供えながら先祖に感謝の言葉も添えた。
 今年の果物は異常気象で不作だと聞いていた。しかし、今年も立派な次郎柿を届けていただいた。感謝しながら味わいたいモノである。

2010/10/24

教師冥利の興奮は今朝も・・・・。

 ~巨人ファン、ごめんなさい~
 小生の周囲の大半(プロ野球ファンの)が読売ジャイアンツのファンであることは事実である。かく言う小生は子どもの頃から「セ・阪神タイガース パ・西鉄ライオンズ(=現・福岡ソフトバンク)」ファンとして竹馬の友の間では有名である。
 取り分け、西鉄ライオンズ(中学生時代当時)の熱烈なファンであったことは自他共に認めている。
 しかし、教え子の存在は偉大である。今は?やはり教え子の所属する球団が気になって仕方がない。教師冥利の為す苦行に近い。阪神戦で勝った教え子は、「先生、タイガースに勝ってゴメンね」と電話の向こうで謝った日々が何回もあったほど、教え子(=野球部員)には小生が「トラきち」はあったことは有名であったようだ。携帯電話のストラップもHとTの文字がぶら下げられているのが何よりの証である。
 昨日は朝から落ち着かなかった。
 多分、今日のCSファイナルステージは先発するだろうとの勝手な予想からであった。ゲームが始まると、その落ち着かない気分は頂点に達してしまった。とにかく「勝って」欲しい。次の「夢」を持ち続けさせて欲しい、と願ったのは、人情として巨人ファンにはお許し願いたい。
 勝利が決まった瞬間、教え子の携帯にメールを送信する(21:59)。たった一言。「マサ おめでとう」だけにした。いの一番に受信記録が残るように、と言う他愛のない理由だけである。
 22:46 「先生、ありがとうございます。日本シリーズで投げられる目処をもらえました。応援よろしくお願いします。まさひろ」の着信があった。既に寝ていたので着信の確認は早朝である。
 プロ野球界で「我が教え子」が、こんなにまで活躍できるとは思ってもみなかった。小生が課した中学生時代の練習は厳しかったらしい。しかし、一日も休むことなく真剣に取り組んだ姿勢は今でも鮮明に残っている。それが、今日の基礎と言うのか、土台と言えるのか分からない。
 教師たる者の喜びは巣立って行って何十年経っても「喜びと感動」を貰える奇特な稼業であることに尽きるようだ。この教え子は卒業して30年の歳月が流れている。しかし、昨日の出来事のように瑞々しい感激を伝えてくれる。正真正銘の「教師冥利」ではないだろうか。
 教師の道に入って苦悩の日々を過ごしている輩諸兄、そして、これから教師道に入り込もうと夢を抱いている若者諸君、この老輩のこの感動を正面から受け止めてみて下さい。そして、悔いのない「教師冥利」を追求していただきたい。期待していますぞ!!

2010/10/22

奄美の人たちのことを案じつつ・・・

 ~今日は、ぼ~っとした一日~
 今頃は、また奄美では強い雨脚になっているのでしょうか?
 台風銀座と言われた九州で少年時代を過ごしているので「バケツをひっくり返したような」雨の降り方には恐怖の思いしか残っていません。「将来は絶対に台風の来ない地域で過ごすんだ」、と幼い心に誓ったのが懐かしいですね。それほど全身に自然界の怖さが染み込んでいました。だから、奄美の被災の状況をテレビ画面で見ると他人事には思えないのです。すでに犠牲者も出ているというのですから今後の雨量が更に心配ですね。ご冥福を祈ります。そして、一日も早く雨が上がり後片付けがすんなり出来ることを祈るばかりです。
 そんな思いを巡らしたり、久し振りに今日は「何もない」フリーの時間をゴロゴロとゆったりと過ごしました。明日の主宰事業(茅ヶ崎市)が終わると暫くは公的な仕事から解放されます。しかし、11月の声が届く頃からは今年最大のハードスケジュールで12月までに18回の講演が待っています。体力勝負ですね。ともあれ、無事にお正月を迎えられるように頑張らなくてはなりません。
 しかし、夕方になると気温が下がるようになりました。暑すぎた夏は?もう忘れちゃいましたね。
 どちら様も風邪など召さぬようお気をつけ下さい。

2010/10/21

また、1歳の加齢!

         新聞記事で皇室の風景が掲載された日が・・・・。

        ★10月20日早朝の、茅ヶ崎海岸からの望む「江の島」(提供:高橋昭和氏)


 ~確かなる「老い」を実感しつつも・・・~
 今年も元気な孫達の歌声やメッセージにお祝いされた幸福なお祖父ちゃんです。
 現職を辞して6年が経ちました。義父母の介護のために1年早く退職したので同期の人たちより1年早く一般社会に復帰したことになります。霧中の介護生活を思い出しながら、「親が存命」の時は、列記とした「子ども」でありましたが、没後3年も過ぎてこの世に「親」が実在しなくなると「つっかい棒」が取れたような、小さな負担が消滅したような複雑な心境になるモノです。
 昨晩、孫軍団からお祝いの電話が届きました。
 「いつまでも長生きしてください」の孫の言葉を反芻しながら、ふと「もう、そんな言葉を貰うようになってしまっているんだ」と神妙な気持ちになっていました。人生80年と言われるとして計算しても、人生の残りが遙か彼方まであるということにはなりません。寂しいような気分もしますが、「よくぞ、ここまで大病もせずに生きてきたな」と満足感も湧き出てくるのも偽らない事実です。
 沢山のお祝いのメールやお手紙や、そして花束まで届きました。
 40年も前に巣立っていった卒業生が忘れずに、昨日も祝詞を贈ってくれました。未熟だった若き日の教員生活を思い起こすだけで身の毛が弥立つ思いで「反省しきり」の時間となってしまいます。卒業生は、「皇太子妃・美智子様(当時)のお誕生日と同じ」と説明したらしい若い教員の言葉を今でも記憶しているというから恐ろしいモノです。深い後悔すら感じます。小生は皇后陛下(現在)より10年後の誕生で御座います。中には小生も皇后陛下と同年齢だと誤解している卒業生も(今回も)おりました(笑)。
 ともあれ、老いとの勝負はまだまだこれからが本番(笑)です。
 今後も、この節目の日を意義ある生活で活き活きとして迎えることができるように健康管理をしながら頑張りたいと心新たにしている朝です。
 奄美諸島の豪雨被害も気になります。読者の皆様の地域も同じように急に冷え込んできたことでしょう。お風邪など引かれぬようにお気をつけてお過ごし下さい。

 

2010/10/20

我が思考回路に「深み」が!


 ~ありがとう!招待券~
 去る18日は市内の小学校での「子育て講座」に出講しました。
 校長室で帰り支度をしていたところに保護者が入ってきました。保護者とは言え小生の教え子の一人です。申し訳なさそうに「もし、良かったら奥様と一緒に・・」と差し出してくれたのが2枚の招待チケットでした。当然ながら本も数冊読んでいましたので講師がどんな人物であるかは直ぐにわかりました。帰宅して妻を誘いました。珍しく快諾(笑)したので拍子抜けしました。そして、昨夕の1時間半の「知的刺激」を受けることが出来たのです。
 最後に勤務した学校は新設開校の小学校でした。
 初代校長の最初の大きな仕事は「学校教育目標」を創出することでした。保護者や地域にも呼びかけてアンケートも採りました、のんびりしている作業では意味がありません。しかし、どうでも良い作業で安易に、しかもどこの学校にも掲げられているような表現は避けたいとも考え、「理想とする子ども像」としてまとめました。
 「よく遊び じっくり学び 正しく選ぶ」ことのできる子ども を理想とする子ども像として打ち出したのです。教室には校長としての直筆で「遊・学・選」と書いて額に入れて掲示しました。学校教育目標が「ゆう・がく・せん」と直ぐに口をついて出るようにしたかったからです。
 重松清氏の講演内容にこの教育目標が現れたので背筋がシャンとしてしまいました。人生の中で「選択する」ことの難しさと、価値評価基準の変異が時代と共に大きく生じてくる話題に迫ったからです。当時の校長として、いやお祖父ちゃんとしての教育目標発想の原点がそこにあったからなのです。紙面の都合で内容の詳細は記せませんが、思考回路に「深み」を頂きました。
 選択肢は多いほど良い。選択は自らの価値判断で決するのがベストである。しかし、親を含む大人たちは「急いて選ばせようとする」行為が先行しているのではないか。「早く!急いで!グズグズしないで!」とせき立てて追い込むので「どれでもいい・何でも良い」から、究極は「選んでよ~」と選択を委ねる子どもにしてしまう。自己による選択には時間もかかると同時に、悩み・苦しみが伴うものであり責任が最後に付いてくる。30年前の価値判断が30年後の今、どんな付加価値がついているのかは誰にも予想が付かない。だから、自己責任に委ねるべきではないだろうか。「お母さんが選んでくれた」「先生が勧めてくれた」のでは、自責にならず他責になってしまう。
 深く深く頷きながら聴き入ってしまいました。
 正しく選ぶことのできる子ども。「正しく」とは、その選択時の自らの「判断基準に沿って」という意味である。小学生の内から、「選ぶ」ことの辛さや苦しさと直面しながら「悩み・苦しむ」時間を育んで欲しい。これが(お祖父ちゃん)校長先生の、可愛い子供(孫)達への愛のメッセージだったのである。重松清氏の講演を聴きながら、浅くなりつつある老脳の「深部」に冷たい空気が入り込んで濛々たる呆けを取り去ってくれたような気持ちになりました。老爺にも、まだ、こんな「快感」を喜ぶことがあるのか、と嬉しくなってしまいました。
 申し訳なさそうに差し出した「(30年前の)教え子」から貰った1枚のチケットは、30年後の「老師」に膨大な量の「脳の栄養素」となってくれました。感謝の気持ちで胸が熱くなりました。ありがとう。

2010/10/18

今宿小学校第1回 “子育て 角田塾”

 ~地元への「恩返し」~
 凄いネーミングの講座が始まりました。いつものことながら講演開始の瞬間は大きな緊張感に襲われます。
 思い返せば、昭和52(1977)年に、ここ神奈川県茅ヶ崎市の住民となりました。長女が小学校に入学する4月でした。同時に市内の教員として市外から茅ヶ崎市の中学校に赴任しました。大学生時代から隣町の高座郡寒川町に住んでいましたので茅ヶ崎市は「異国の地」ではなかったのですが、「所変われば品変わる」の如く、取り分け転勤した中学校「文化」に馴染めずにカルチャーショック症候もありました。
 そんなことを今日も思い出しました。
 今日の訪問校にも「馴染みの深い」教職員がいます。校長も教頭も「身内として」付き合う間柄です。教員の中にも思い出がズッシリと詰まっている人物がいました。
 ここでは、保護者や地域の方々を対象にして開設された「3回連続講座」です。校長職を離れて早や6年が過ぎています。特に、当該校の校長は、小生が市教委の管理職で勤務している日々の「指導主事」であったことから、立場からだけでなく、市民の一人としても「支援できること」は支援したい関係です。市内の他の学校でも元気で頑張っている現職の校長さん達への支援には要請があれば馳せ参じるつもりでいます。そんことでも、お世話になった茅ヶ崎市への恩返しの一つになれば、との思いでお請けすることにしています。
 今日から始まった連続講座は、最終回は新年の2月が最終回です。今日も会場一杯の聴講者がありました。他愛のない世間話しか提供できない老輩の話に真剣に耳を傾けて貰っている姿に感激しました。お祖父ちゃん・お祖母ちゃんのご参加には心が揺らぎました。
 「子育て」という言葉が勝手に独り歩きする時代になりました。
 きれい事では済まされない程に難しくなったと言われるのが、若い「お父さん・お母さん」にはとても苦しいことになってしまうようです。三人の我が子と五人の孫のいる老輩は、「親業のお手伝いをしなければならない」心する日々になっています。
 会場には教員の姿も多く見えました。
 恩返しの真似事であっても、また、この出会いの人たちに向かって全力で「支援する」言葉を伝えていけるよう勉強したいと考えています。それしか、茅ヶ崎市への恩返しが出来ないからです。わが子達を育てていただき、教員としても成長させていただいたことへの感謝の意も添えて、後2回をベストで務めたいと心新たにしている夕べです。

2010/10/17

充実した「自己研修2日間」に感激と感謝!

 ~この「歳」になっても感動!!~
 小生は2006年から「日本公文教育研究会」の顧問という大役をを仰せつかっています。そのご縁から10月16~17日と2日間に掛けて「研究会」の案内を受けました。
 今日は、第2回「日本子育て学会」のシンポジウムでした。
 昨日は、その前夜祭で「読み聞かせ実践を科学する」というパネルディスカッション(写真・上と左)がありました。
 今、校長職を回顧しています。
 確かな根拠もなく、小学校の校長時代に「式には必ず絵本を読む」ことを意識したものです。絵本選びと同時に「絵本環境作り」に神経を遣いました。以前から「荒れた高校」の変容に「朝読書」が一役を担ったという実践が学校教育関係者には印象強く映ったことがありあました。実践発表会に行ったのは市教委勤務時代でした。「読書で生徒指導」の先進的な実践であり、小生には気になり過ぎるくらい興味があったことは事実です。高校で、中学校・・・・・こんな苦労をさせないで済むことを考えたかったのです。小学校の校長としての責務だと意識していました。
 「入学式に絵本読み聞かせ」を新設開校した小学校で実践するには度胸が要りました。しかし、結果としては成功だったと「自画自賛」(笑)をしています。しかし、その後の学校経営の中心に「読書」を掲げて進めたことは関係者なら知らない人はいないでしょう。こんな。他愛のない小生の実践に関しての詳細は次回にしまして・・・・。
 2日間の自己研修の時間は、「あっと言う間」に流れてしまいました。
 充実感が全身に未だ残っています。全ての「登壇者(=発表者)」に心から御礼を申し上げたい心境です。こんな思考時間を提供する学会は現職時代にはなかったと思います。今日、(老輩として学びながら)、この思いを立派な後輩諸兄に「贈る」ことができるよう更に勉強したくなりました。
 「読み聞かせ実践を科学する」、とフレーズを反芻しながら、自己研修の2日間を振り返ってみたら、もう一度、校長職をやりたくなりました(大爆笑)。


2010/10/16

「~になってから」では間に合わない

 ~「経験値」として貴重な資料~
 個人情報が満載なのでここで掲載できないのが残念ですが、2部の資料を手元にしながら「この夏の素晴らしい経験」を振り返ることが出来ました。
 以前、このブログにも数回、話題を提供しました。平成23年度教員採用試験の結果が塾・主宰者から渡されました。自身の体験からも「採用試験」には窮地に追い込まれた苦しい事件だったと記憶が鮮明に残っています。ここではその状況は触れませんが、人生史上「一番真剣に向かい合った試験」でした。ひょんな事から先輩校長経験者より「神奈川県・横浜市・川崎市」の教員採用試験受験者を対象にした講座を新規開講するので手伝って欲しいとのお声掛かりをいただいたのが今年の3月頃だったでしょうか。自らの苦しかった思い出が「お手伝いできることがあれば」と、意外と簡単にお引き受けしたのです。主宰者側も余りの簡易な引き受けに驚かれた様子でした。
 そして5月から8月まで、暗中模索の指導を続けました。
 そして、昨日、主催社代表から「『結果』一覧」を受け取りました。指導力の評価(つうしんぼ)です。久し振りに「評価の重さ」を実感しました。決して「喜べる結果」ではありませんでした。受講者がどれほどの受講費を支払ったかは知る由もありませんが、不本意に不合格になった受講者にしてみると講師の非力を恨んでいることでしょう。胸を締め付けられながら東京駅から1時間の車窓を眺めながら帰って来ました。後悔先に立たず!決して無責任な講義や実務指導をしたわけではないのですが、不本意な結果を見ると反省という後悔は先行していないことは事実です。
 合格者諸君には「おめでとう」と、言いながら併せて、「先生になってからでは遅い」という小生の講義哲学を敢えて、再び伝えておきたいのです。新人であっても10年経験の教員でも、児童生徒から見れば、列記とした「せんせい」と呼ぶ相手です。厳しい現状が待っています。受験勉強は一種のバーチャルリアリティの世界ですが、来年の4月からは「本職」としての「毎日が本番」です。心して挑んで欲しいと心から期待しています。
 大した講義も出来なかった「教員の先輩」ですが、現場での苦労話を聞くことは「昔取った杵柄」です。遠慮無く、今度は講師と受講生の関係ではなく「教員の先輩後輩」の関係で相談して欲しい。待っていますよ。

2010/10/15

新聞記事に一喜一憂?


 ~じゃぁ、どうすれば良いの?~
 子育てに懸命な親からこんな呟きが聞こえてきそうです。
 そんな記事がこの1週間で2種類も目に留まりました。便利な世の中になりました。この種の情報が「氾濫する」ほどに数多く手元に届けられます。
 「新聞記事を読む」事などを学校教育関係者の間では、「資料を読む」と表現します。様々な教科指導で教師は沢山の情報を授業の資料として児童生徒に配布します。問題は、「資料を読む」力が付けられるか、なのです。データだけの数量判断では「学び」は深まったことにならないからです。
 この二つの記事で、どんな「情報として」役立てることが出来るでしょうか?「~なんだってよ」「~らしいよ」と新聞記事も独り歩きしてしまって欲しくないですね。自己肯定感とは?体力とは?それがアップしたり、ダウンしたりしていることが「どういう意味なのか」と考えなければデータと数値の変化についていけなくなります。そうなると、『調査』の対象者である青少年が「誤解されて・思い込み」の術中に填ってしまい非難の鉾先になってしまうと言う悲劇が生じるからです。
 便利さと豊富さで潰されそうな現代の青少年。
 問題はその当時者達に「問題意識」が伝えられていない大人社会にあるのです。エスカレーターやエレベーターをフル活用する若者をみると、「体力養成の本質」と日常生活習慣の重要性を痛感します。食べたいときに食べたい場所でウォーキングフードを満喫する光景を見るに付け食生活の躾も乱れていることに心が傷みます。
 ボール投げが「体力の一つ」であることは分かりますが、ボールを投げる力だけでは生きて行けないでしょう。そんな「語りを」親がしなければなりません。教師が説かなければなりません。近所の人に「あいさつ」をする習慣だけでも「自己肯定感」は十分にその下地が出来ること請け合いです。
 新聞記事を読んだ「爺の感想」でございました。皆さんのお考えはいかがでしょうか?
 

2010/10/14

全員生還おめでとうございます。

  ~極限支えた指導力~
 現職時代は「一応・・・指導者だった」なんて、軽率に発言など出来ないこの日の快挙。
 夕刊に目を投じながら活字に引き込まれた。作業現場監督が発したという言葉がそれである。泣き出しそうになる仲間に言い続けた言葉『助けが必ず来る。絶対に「希望」を失うな』とは、どんな指導力から発せられる言葉なんだろうか。しかも事故発生から69日間。どんなにか長い時間だっただろうか。現場はパニックとだけで表現できない修羅場であったはずだ。救出された人たちが口々に言った指導者への絶賛の言葉。それは『彼は責任感の塊のような人』だと。新聞記事はそう伝えている。
 ともあれ、有史上に燦然と輝く快挙である。
 ふと思う。勿論凡庸な「指導者だった爺」にはこのような指導力などない。偉そうな事は言えないが、指導者スピリットは国民性が育てたのだろうか。ひょっとしたらチリという国家には「責任感の塊」の指導者が多く誕生しているのではないだろうか。身勝手な憶測とお許し頂きたい。そして、決してこの話題の指導者を軽視しているわけではないので、呉々も誤解をしてもらったら困る。
 人の成長には、親や教育者等の身辺周囲だけの人だけの関わりでは大きくは期待できない。国家意識の復元は急務のような気がしてならない。
 全員救出の軌跡が、今後のチリという国家を「責任と信頼」の二文字で大きく成長させることだろう。他国の事思えない感激のニュースに喜びながら、爺は心底からの「祝福」を叫んでいる。

「山陽本線60分の旅」の後に・・・。

 ~JR 福山駅-岡山駅~
 30年ぶりの友人との再会のために「60分間」の山陽本線の車窓を楽しんだ。新幹線の車窓から見る景色とはこんなにも違うのかと思うほど「長閑な」風景にウットリしている間に目的地(岡山駅)に到着した。
 前日の仕事(=福山市小学校教頭会研修会)の任を十分に果たせたかは(いつものように)疑問符が付きそうだが、懇親会で癒されてご機嫌な「福山の夜」を満喫できたのは正に「講師冥利」だったと、頗る勝手な自己評価である。熱気溢れる研修会場の「教頭先生方」の、今後の活躍を期待するばかりである。
 今回の旅は旧友との再会も行程の一つ。
 岡山市で待っていてくれたのは岡山県新見市に住む友人である。出会いは遡ること30年ばかり前。当時、37歳であったことから逆算すれば、正確には29年の歳月が流れていることになる。瀬戸大橋が未だ工事中であった頃、妻同伴で岡山市を訪問した折、彼の案内で鷲羽山から工事中の本四架橋を眺めたことがあるので、まる30年間会っていなかった訳ではないが、思い出はやはり出会いという始発点の「筑波・中央研修講座」に戻ってしまう。
 中学校の英語教員としての受講生同志。その後はお互いの任地に戻って孤軍奮闘(?)。そして5年前に定年退職をしている。彼が現職時代後半に大病をしたことは便りで知ってはいたが、ろくなお見舞いもせず放置してしまった薄情な友人である。しかし、いつも温かい手紙で近況を知らせて貰っていたので、再会の最初の言葉は「大丈夫?元気だった?」となってしまった。
 男性同士の「長い語らい」は絵にもならないらしい。しかし、30年間の「空白」を埋める言葉には長時間を労してしまった。昼食の時間が待ち合わせ時刻だったので馳走を頂きながらも「過去の情報」交換には口が二つ以上欲しかったほどである(笑)。
 野球帽を被って髭を生やして・・・。想像からは逸脱していた姿ではあったが野球帽の理由も、髭の成り立ちも説明を聞きながら大きな病気との闘いへの前向きな彼の人生そのものであると理解できた。かく言う小生も、当時の黒髪もどっかへ置き忘れた状態なのだから人のことをとやかく言えるモノでもない。
 しかし、やっぱり加齢は嘘をつかない。いつの間にか話題が孫の話になってしまう。鶏を飼うことになった経緯も孫との関わりであったことや、奥様との旅の話や登山の予定などに聴き入りながら十分すぎるほどの時間を共有できた。至福の時間であった。
 元気で再会。これが別れ際に自然の流れで口をついて出たお互いの言葉だった。無帽での写真も撮ったがソフトバンクの野球帽が似合っていたのでこのブログではこの1枚でご勘弁いただきたい。
 帰宅して驚いた。教頭研修会の聴講者から数通のメールが届いているではないか。旧交を温めてご機嫌で帰った不謹慎な老輩としては、我に返って「身の引き締まる」朝となった。感謝。

2010/10/12

数日前の出来事から

 ~心温まる一葉の写真~
 思いがけずにご自宅にご招待を受けました。
 研修会を終えて最寄りのJRの駅までお送りいただけるとばかりの思い込みは(地理的な不案内もあって)、車がご自宅に向かっている等と疑う余地もありませんでした。
 住宅街の一角で車が止まりました。駅周辺の雰囲気とは全く違うことぐらいはわかりましたが、ご自宅前であるとは驚きでした。「どうぞ」と言われた門前で、遠慮して押し問答する年齢でもなく、不躾ながらも玄関からリビングルームに通されました。昼食の準備していただいた奥様はお仕事で不在だと言うこともわかりました。二人の息子さん達とも会いました。昼食の準備がテーブルに済んでいました。遠慮無くいただいて、一人の息子さんも同乗して駅まで送っていただきました。
 想定外の行動に面食らいながらも心温まるお持て成しに感激と感謝の気持ちを表して、車を降りて電車に乗りました。
 帰宅して、妻にその様子をしゃべり出すと「遠慮するきっかけも掴めなかったんですね」と理解してくれてホッとしました。
 就寝前に「本日最後のメールチェック」をして、添付ファイルの写真(右上)を見て驚きの余り声をあげてしまいました。
 文面には「角田先生、ごめんなさい。女房が折角準備していてくれた料理を出し忘れてしまいました。女房に叱られてしまいました」とありました。昼間の「温かい接待」に感動したシーンに、この写真と謝罪文が上乗せになりました。早速、妻にも見てもらいました。一葉の写真で、感激屋の爺の心はぽかぽかになってしまいました。余談ながら、実は「大好物」なのです。惜しかったなぁ~、と呟きながら「次回を期待しよう」、と思うのはやっぱり加齢の為す「ふてぶてしさ」なんでしょうね。ご馳走様です!!

2010/10/11

苦笑と失笑そして爆笑

 ~「初めての」床屋さん~
 以前からずっと通っていた床屋さんが気に入らなかった訳ではありません。何せ不精者ゆえに「初めての床屋さん」を選んだ理由も単純なことです。聞けば皆さんが笑います。で、その理由とは?自宅から近い(=以前の床屋さんより)ということだけです。数ヶ月前にいつも通る道路から見える看板に「新装開店・シルバーサ-ビス」の文字がありました。大型スーパ-の中に開店したので、「いつかは・・・」との思いがあったわけです。明日からまた県外に出講するので「床屋さんに言っておかなくっちゃ」、との思いで横目で見て通っていた床屋さんに初挑戦したということです。
 終わってから会計をします。
 初めてのお客様ですから「どのランクのシルバーサービス」かとの確認があります。つまり「シルバー料金」の詳細区分です。ラミネート版を指さしながら「これで・・?」ですね、と店員さん。60歳以上は**円で65歳以上は**円。70歳以上は**円と小刻みな分類でした。店員さんは笑顔で、「お客様は60歳以上のこのランクですよね」と声を掛けてくれました。「えっ、65歳以上なんだが」と言うべき答えが出て来ない。「そう、そう。ありがとう。良くわかったね」と小生が応えると、「65歳以上かどうか迷いましたが、失礼になると思いまして・・・・」と言う説明。
 結局、65歳以上の特典を受けず、60歳以上の料金を払ってしまいました。
 自転車で意気揚々と帰りながら、心地よい風に吹かれ錯綜した(笑)精神状態も落ち着いて来たらしく200円の安い割引待遇を蹴ったことを後悔し始めたのです。帰宅しても「言うまい」と口にチャックするつもりだったのに「女房族の経済観念」は凄いことが判明。簡単に説明すると呆れた顔の妻は失笑。何だか意味深いモノがありそうでした。ポツリと「誰が見ても65歳以上よ」と言わんばかりだったからです。正真正銘の65歳以上であることは事実。しかし、あと10日もしない内に当人は66歳になるんだよねぇ・・、と自分でも苦笑と失笑。
 この歳になっても「見栄を張る」って、若い証拠ですよ、ねぇ?と、自分にしかできない慰めです。(爆笑)
 

2010/10/10

「たかが」・・・「されど・・・」

 たかが一通の葉書じゃないか。
 されど、やっぱり嬉しい葉書じゃないか。

 「はがき・道」に生き方を求めながら人生哲学を実践している現役校長からの「お礼状」の葉書が届いた。勤務校を訪れたのが去る10月7日である。葉書が手元に届いたのは9日の夕暮れだった。この葉書は四国で投函されている。受取人は関東である。
 たった1枚の葉書ではないか。
 この位の礼状なら誰だって、いつだって「書ける」さ。ところがどうだろうか?500枚の葉書を一括購入して「書き続ける」彼の実践生活はそう容易に真似の出来ることではない。
 小生はこの校長の顔に会いたくて途中下車をしてしまう。
 駅頭まで直接迎えに出て来て歓迎の意を伝えてくれる。校長室に入ってお茶を頂いていると、メモ帳を開いて日頃の実践の苦労話を語り始める。苦労話と言いながらも決して苦渋に満ちた表情には見えない。しかし、日頃の苦労が聞き手には良くわかる。
 そして彼は、間髪を入れずに現職の立場から様々な角度で「問いを投げかける」。こちらも、伝える気持ちで本音を語る姿勢で「教える」ことに全力を傾ける。後輩の校長が「学ぶ」眼力にはこちらの心も奮い立つ。
 旅の終わりに立ち寄った中学校の校長室。
 旅の疲れは癒され、再び元気に戻って帰路に着くことが出来る。幸せを倍にしてくれる、素晴らしい人生の友である。
 帰路の車中で浮かんできた人生哲学(即興・創作)をここで紹介したい。
 伝えないと「通じない」/語らないと「わからない」/教えないと「学ばない」(角田明)
 

2010/10/09

旅の「つづき」・・・

 ~今日も全くのフリーデー~
 たまには「良いモノ」ですよ。
 時刻表と睨めっこしながらも景色にウットリ、そしていつしか眠ってしまっている旅人業務は、まさに小生の「天職」です。決して「転職」したわけではありません。退職した後の「長閑な人生」としての延長線上で展開されている極楽浄土の絵巻図でございます。
 のんびりと朝刊に目を通しながら「世間の土曜日」を満喫し始めたら、この記事に激突してしまいました。衝撃というより「合点」の文字軍と理解しました。スキャナで撮ってブログ版を作成したくなりました。そして、全国の同志に呼びかけてみたくなりました。去る5日~7日までの「四国の旅」の続きとしてお伴してください。
 5日は、茅ヶ崎を出て小田原駅。新幹線で名古屋駅。乗り換えて岡山駅到着が11:05。土讃線の特急「南風号」発車まで丁度1時間の待ち時間でした。岡山駅構内の様子も見たくなってキャリアバッグを引き摺りながら歩いたのですが「興味関心と学びの意欲付け」にはなりませんでした。行き着くところは構内にある「本屋さん」です。
 旅のお伴の本は文庫本に限ります。
 15分は物色したでしょうか。何気なく面白いタイトルの本が目に留まりました。「一億総ガキ社会」とは、また、大胆な命名ではありませんか。小生の本選びは皆さんと違っているのでしょうか?タイトルを見たら「著者」のプロフィールを見るのです。それから「目次」や「はじめに」に目を投じたら、「おわりに」の部分に目を移して脳の直感で「買う」ことに衝動があれば買っています。そんな症状に罹ってしまった小生は見事に購入してしまうことに填りました。もう動く気もなく、買った本を手にして在来線の待合室へ直行したのです。
 「大人になるってどういうこと」章に惚れ込んだ小生は、その後も、とうとう土讃線の車中はこの本から視線を外すこともなく読み終えてしまいました。約2時間半の土讃線も途中の大歩危小歩危もいつ通過したのか全く分からないほどに短く感じました。
 そして、本日の朝刊。
 敬愛する野坂昭如氏のエッセイに数日前の「四国路」が蘇って来ました。彼の論及に後押しを受けた気分になったので、こんな行動に出たわけです。興奮すると、たった一人しかいない同居者(老妻)を巻き込んで、半強制的な同意を得るための「記事の朗読」を始めるのです。今朝もその症状に彼女は否応無しの「お付き合い」を強いられてしまう不幸な人間です。これも「運命」だと、どうやら割り切っていただいているようですので、安心して決行できてしまいます(笑)。
 ご感想やお考えをお聞かせ下さい。ゆっくり休養するはずの休日が朝からこんな状態です。
 えっ!若い? 有難う御座います。勝手に「天の声」として聞き入れるところが能天気で好い加減な性分で御座います。

2010/10/08

3日間の「四国路」



 ~「はりまや橋」って?~
 龍馬人気で涌く高知市。
 数年前からの訪問地でありながら「はりまや橋」も知らずに通過していたようです。これが・・・。と親しくなっている高知の先生方に「はりまや橋がどこにあるか分かりました」、と興奮して告げると、「あれはホンモノではありません」とあっさりと切られてしまいました。つまり、この写真を撮った瞬間は意識の中では確かなホンモノであったことは事実です。 ともあれ、ホンモノが直ぐ側にありましたので、今度は「知ったかぶり」で講釈しちゃいそうです(笑)。実は、探し出したはりまや橋ではなく、偶然にも宿泊ホテルの目の前であったことも付け加えておくことにしましょうか!
 小生の「旅の目的」は学校訪問。
 かなり広範囲で全国を旅しているのに「旅人感覚」が身に付いていません。なぜなら「主たる業務」だけで旅程が終わってしまうからなのです。今回もご多分に漏れず旅の醍醐味から縁が切れそうだったのですが宿泊ホテルの目の前に「旅情をさそる」朱色の橋が存在しておりました。ただそれだけ?そう、ただそれだけでも「高知にやって来た」甲斐があったというモノでした。
 授業研究に関する話題提供で明け暮れる旅人ですが、今回はオプションで香川県善通寺市の中学校訪問を組みました。お気に入りの校長さん(ご本人はこのブログはご存じでない!)に会って帰ることにしたからです。そんなリラックスムードの小生が玄関先の掲示板(写真・中)にビックリ。物見遊山バージョンが吹き飛んだ瞬間でした。しかしながら、多忙な校長職を相手に数時間の「楽しい対話」を交わすことが出来た喜びで帰路に着けました。
 何回も通過する瀬戸大橋ですが、大パノラマとして視野に入る瀬戸内海の眺望に見取れてしまってシャッターを押すこともなかったことに気付きました。慌ててカメラを向けましたが窓ガラスに反射して上手く撮れませんでした。それでも「旅の気分」はお汲み取りいただけるでしょうか。
 今回のメインは高知市立潮江小学校の授業研究会に出席することでした。子供達の輝く瞳に魅せられました。授業の工夫は「これからの磨き」具合ではどんなにでも伸びて行きそうな教師集団に大きな期待を抱くことが出来ました。助言を素直に聞き入れて協議会の発言に今後の期待が更に膨らみました。次回のお声掛かりを楽しみになりました。他の学校には存在しない「潮江版・授業研究会」が出来るのではないかと心ウキウキしながら学校を離れました。
 予定した時間よりもかなり早く帰宅できました。
 数日後からは、また「秋の大遠征(笑)」がスケジューリングされています。今日・明日は少しだけ骨休めをさせていただくことにしましょう。
 


2010/10/04

『心ぽかぽか』ニュース(9)

 ~葉書で「お礼状」を~
 甲斐市の小林牧場には、午後の歩禅コースで葉書を投函して来た。
 この葉書は『心をぽかぽか』していただいたニュースソースに対しての「心ばかり」のお礼状である。新聞記事が掲載される度にこの「礼状」を投函している。先方ではご迷惑かな?と思いつつも、この世相では、毎日不愉快極まりない新聞やテレビ報道ばかり見せつけられていてウンザリしてしまう。その反動かも知れない。
 ブログに取り上げる新聞記事も問題性や課題性を追及してしまうような内容が多い。自らの考えを述べつつも、実現不可能な意見となってしまうことが多く後味も悪い。
 この記事を読んで・・・・。
 苦笑してしまった!!どこの世界も「もてる男(雄)」っているんだなぁ~、と思ってしまったからである。本人の意志(笑)とは無関係に「花嫁さん」が自然発生して居るではないか。人生(?)を「独り(一頭)」で過ごしたくないと思う者(ヤギ)もいるだろうに・・・、と。
 これって、「もてないヤツ」の僻みかい?自問しながらもこの記事には『心ぽかぽか』する思いが走る。こんなニュースが、一つや二つぐらい「毎日の報道」で取り上げられないものなのだろうか。沢山の素晴らしい実践や行動等々、心温まるニュースはありますよね、皆さん。
 皆さんの周囲で、地方紙にしか載らない記事の中にも『心ぽかぽか』ニュースがあることと確信しています。このブログで共有しませんか?HPには小生のアドレスがありますので、「記事」をお寄せ下さい。 切り抜いて実物を郵送していただければ有難いです。

※明日から高知市~善通寺市と出向します。次のブログは8日か9日になると思われます。

新・歩禅記(35)


 ~金木犀の季節~
 昨日の正午過ぎ。
 5日から出向する高知への旅のチケットを購入すべく、妻と二人でJR茅ヶ崎駅・みどりの窓口に向かって家を出発した。我が家にある「僅か1本の樹木」は今年は不調なのか?発する香りも感じることなく通りに出た。どこからとなく「キンモクセイのかおり」が鼻孔に届いた。家並みの数件続いて金木犀の木がある。どこからも通路に溢れるほどの匂いを発していた。
 「あ~、もうそんな季節なんだね」と老夫婦の会話。
 陽ざしはまだ相当な強さだったので「正午過ぎの出立」は少々失敗だった。しかし、金木犀の季節は季節である。街路樹や建造物が作る「日陰」に入ると、陽ざしの強さをさほど感じない。風も心地よかった。やはり季節は確かに秋の深みに向かっているようだ。
 チケット売り場の混雑に耐えて(笑)無事購入した。
 手土産を妻が持たせるというので駅ビルの地下で購入して帰宅した。1時間半ばかりの『歩禅』ではあったが日中の陽ざしとの闘いは、やっぱり厳しかった。暫くは会話も沈みがちな老夫婦であった。爺は8000歩を表示する歩数計を覗いて満足感に満たされたと言えば、やはり能天気な性分ですね。

2010/10/03

孫の運動会に行って来ました

 ~暑い?いや、肌寒い?~
 そんな独り言を呟くような秋晴れの昨日の土曜日だった。
 長男一家の孫達の運動会に招待?予定では当日の朝、茅ヶ崎駅を出て会場直行で終了したら直帰するつもりでいたのだが、運動会前夜から行くことになった。三番目の孫が喘息発作の症状を呈したので当日の運動会には「今回が保育園最終回の運動会」となる二番目の孫を看るのが大変だという急報で呼び出されて、急遽の移動となったのである。
 幼児は病気容態の悪化も急であるが、快復も嘘のように早い。
 元気に最後のプログラムまで参加できた。ホッとして夕方には帰宅が出来た。茨城県は北関東に位置するのが、何となく分かったような一日だった。陽ざしは暑いくらいなのに、木陰にじっとしていると肌寒く感じるほどの気温差である。薄着で出掛けたことを反省したが後の祭り。
 今朝になって爺も婆も異口同音に「喉が痛いね」と言っている始末。昨日の寒暖の差の所為かも知れない。そんなことよりも年長さんである次男(孫)の運動会が無事に終了したことで喉の痛みも帳消しにすることにしよう。
 掲載新聞は埼玉県三郷市在住の知人の原稿である。 いつもながら人生の年輪を感じさせる論考ではないか。

2010/10/01

今日から10月・・・『衣替え』


 ~「日付の変更」で何を考える?~
 10月1日
 ・・・やっぱり『衣替え』かな?
 皆さんはいかがでしょうか。「制服」を着用した高校時代までのこの日は、まさに6月1日と対局の「日付変更線」であった。皮肉なモノで、暑くなったので早く衣替えにならないかな~と願っていたのに当日になると肌寒く感じたり、自転車で風切る冷たさを感じて冬服を待望していながら、着用した日から「暑くて・・」と嘯いた思い出が蘇って来る。コンピュータ制御ではあるまいし、昨日までは「夏」、今日から「秋」とデジタルに割り切れないのが「季節の移ろい」という素敵な自然の生業ではないだろうか。
 
今年は国勢調査。大正9年から「5年ごと」に実施されているというから今年は19回目のようである。10月1日への連想は、国勢調査も強い。
 昨今では所在不明の「超・高齢者」問題もあり、所管の総務省統計局でも神経が研ぎ澄まされていることだろう。書き上げたので本日中に郵便物として投函することにしよう。
赤い羽根。
 これも、またこの季節の風物詩。
 共同募金運動が大流行だった学生時代。駅頭で「お願いしま~す」という連呼には時として「邪魔くさい」と思うときもある。しかし、この小さな活動が全国という規模で実施されると決して軽視できない金額の募金があるようだ。中高生や、時には小学生の黄色い声がこだまするとつい何回も募金してしまう人もあるという。
 善意が悪意に変わったとの報道を目にしたり耳にしたりすると街頭で声をからして奮闘してくれた青少年の善意が崩れてしまう。
 そんな思いも馳せる日である。
 
 小中学校の文化も変わった。
 今日から「後期」という二学期制になったようだ。三学期制度で育った保護者には戸惑いもあるようだ。しかし、時代は平成の代も「20年を過ぎて」2年にもなる。変化は当然だろう。そんな思いを巡らせている今朝の爺である。
  


自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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