2010/10/28

早朝のラジオ番組に傾聴する

こんな感じの「初雪」景色が、1ヶ月も早く北海道では見られるのでしょうか?
 ~「無縁社会」という社会~
 背筋がゾッとするような造語ではありませんか。
 親の死亡を隠して「年金」を搾取する子ども世代。実は小生の世代がその「子ども世代」の頭である。義父の受給年金を思い出した。他界した義父は「志願兵」という経歴の持ち主であったために、戦地から生きて帰還しても「軍人恩給」を受給していた。厚生年金と合わせての年金受給者であることを知ったのもホンの僅かな期間であった。金額の多少ではないが年金額が死亡と同時に受給できないとなると、家庭生活の糧にしている留守家族としては少なからず動揺するだろう。届けさえしなければ受給の恩恵を受けられるとなれば、心意的には罪悪感を伴いながらも甘んじてしまう。社会の構造が「申請」から始発するとなると「申請があるまで」は行政は動かない。いや、動けない仕組みが定着してきたのである。こんな「小さな始発点」にも、いつのまにか日本人の道徳観や倫理観が失われて来てしまったようである。
 こんな「1つの」事象を例に上げても「無縁」という冷たい社会現象が浮かび上がってきてしまう。無縁とは「関係がない」、つまり人間関係が成立していないと言うことになるのであろう。親子の絆?家庭の絆?そこにも、「親子であろうが兄弟姉妹であろうが個人のプライバシーを侵してはいけない」との学習が妙に浸透してしまっていないだろうか?子ども部屋に親が入るのもプライバシーの侵害?こんな関係づくりでは「親子の絆」なんて風前の灯火になってしまうのは仕方あるまい。
 湯舟で半身浴をしながら、昨日から連続構成のNHKラジオ深夜便「明日への言葉」という番組に釘付けになった。特集番組名称は「無縁社会」である。ゲスト堀田力氏や吉永美智子(漢字表現は不明)氏の考え方に傾聴した。どうして「無縁社会」になってしまったのか?聞き手の質問に両氏とも苦渋の反応だった。しかし、流石の分析であり深く頷くばかりだった。
 朝食を済ませて、しばし夫婦でこの話題に花が咲いた。
 いつの間にか・・・・、いや、なるべくして到達した社会ではないか・・・と夫婦で交わす言葉にも憂いが積み重なるような思い気分になってしまった。滅入ってしまっては生きている意味がない、とばかりにパソコンに向かって読者の皆さんに本音を語りかけるのである。そして、身勝手にも「生きる力の復元」をしているのである。お付き合いに感謝しながら・・・。今日も元気で頑張りましょう!!やっぱり能天気な爺である(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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