2010/10/14

全員生還おめでとうございます。

  ~極限支えた指導力~
 現職時代は「一応・・・指導者だった」なんて、軽率に発言など出来ないこの日の快挙。
 夕刊に目を投じながら活字に引き込まれた。作業現場監督が発したという言葉がそれである。泣き出しそうになる仲間に言い続けた言葉『助けが必ず来る。絶対に「希望」を失うな』とは、どんな指導力から発せられる言葉なんだろうか。しかも事故発生から69日間。どんなにか長い時間だっただろうか。現場はパニックとだけで表現できない修羅場であったはずだ。救出された人たちが口々に言った指導者への絶賛の言葉。それは『彼は責任感の塊のような人』だと。新聞記事はそう伝えている。
 ともあれ、有史上に燦然と輝く快挙である。
 ふと思う。勿論凡庸な「指導者だった爺」にはこのような指導力などない。偉そうな事は言えないが、指導者スピリットは国民性が育てたのだろうか。ひょっとしたらチリという国家には「責任感の塊」の指導者が多く誕生しているのではないだろうか。身勝手な憶測とお許し頂きたい。そして、決してこの話題の指導者を軽視しているわけではないので、呉々も誤解をしてもらったら困る。
 人の成長には、親や教育者等の身辺周囲だけの人だけの関わりでは大きくは期待できない。国家意識の復元は急務のような気がしてならない。
 全員救出の軌跡が、今後のチリという国家を「責任と信頼」の二文字で大きく成長させることだろう。他国の事思えない感激のニュースに喜びながら、爺は心底からの「祝福」を叫んでいる。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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