2010/10/18

今宿小学校第1回 “子育て 角田塾”

 ~地元への「恩返し」~
 凄いネーミングの講座が始まりました。いつものことながら講演開始の瞬間は大きな緊張感に襲われます。
 思い返せば、昭和52(1977)年に、ここ神奈川県茅ヶ崎市の住民となりました。長女が小学校に入学する4月でした。同時に市内の教員として市外から茅ヶ崎市の中学校に赴任しました。大学生時代から隣町の高座郡寒川町に住んでいましたので茅ヶ崎市は「異国の地」ではなかったのですが、「所変われば品変わる」の如く、取り分け転勤した中学校「文化」に馴染めずにカルチャーショック症候もありました。
 そんなことを今日も思い出しました。
 今日の訪問校にも「馴染みの深い」教職員がいます。校長も教頭も「身内として」付き合う間柄です。教員の中にも思い出がズッシリと詰まっている人物がいました。
 ここでは、保護者や地域の方々を対象にして開設された「3回連続講座」です。校長職を離れて早や6年が過ぎています。特に、当該校の校長は、小生が市教委の管理職で勤務している日々の「指導主事」であったことから、立場からだけでなく、市民の一人としても「支援できること」は支援したい関係です。市内の他の学校でも元気で頑張っている現職の校長さん達への支援には要請があれば馳せ参じるつもりでいます。そんことでも、お世話になった茅ヶ崎市への恩返しの一つになれば、との思いでお請けすることにしています。
 今日から始まった連続講座は、最終回は新年の2月が最終回です。今日も会場一杯の聴講者がありました。他愛のない世間話しか提供できない老輩の話に真剣に耳を傾けて貰っている姿に感激しました。お祖父ちゃん・お祖母ちゃんのご参加には心が揺らぎました。
 「子育て」という言葉が勝手に独り歩きする時代になりました。
 きれい事では済まされない程に難しくなったと言われるのが、若い「お父さん・お母さん」にはとても苦しいことになってしまうようです。三人の我が子と五人の孫のいる老輩は、「親業のお手伝いをしなければならない」心する日々になっています。
 会場には教員の姿も多く見えました。
 恩返しの真似事であっても、また、この出会いの人たちに向かって全力で「支援する」言葉を伝えていけるよう勉強したいと考えています。それしか、茅ヶ崎市への恩返しが出来ないからです。わが子達を育てていただき、教員としても成長させていただいたことへの感謝の意も添えて、後2回をベストで務めたいと心新たにしている夕べです。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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