子育てに懸命な親からこんな呟きが聞こえてきそうです。
そんな記事がこの1週間で2種類も目に留まりました。便利な世の中になりました。この種の情報が「氾濫する」ほどに数多く手元に届けられます。
「新聞記事を読む」事などを学校教育関係者の間では、「資料を読む」と表現します。様々な教科指導で教師は沢山の情報を授業の資料として児童生徒に配布します。問題は、「資料を読む」力が付けられるか、なのです。データだけの数量判断では「学び」は深まったことにならないからです。
この二つの記事で、どんな「情報として」役立てることが出来るでしょうか?「~なんだってよ」「~らしいよ」と新聞記事も独り歩きしてしまって欲しくないですね。自己肯定感とは?体力とは?それがアップしたり、ダウンしたりしていることが「どういう意味なのか」と考えなければデータと数値の変化についていけなくなります。そうなると、『調査』の対象者である青少年が「誤解されて・思い込み」の術中に填ってしまい非難の鉾先になってしまうと言う悲劇が生じるからです。
便利さと豊富さで潰されそうな現代の青少年。
問題はその当時者達に「問題意識」が伝えられていない大人社会にあるのです。エスカレーターやエレベーターをフル活用する若者をみると、「体力養成の本質」と日常生活習慣の重要性を痛感します。食べたいときに食べたい場所でウォーキングフードを満喫する光景を見るに付け食生活の躾も乱れていることに心が傷みます。
ボール投げが「体力の一つ」であることは分かりますが、ボールを投げる力だけでは生きて行けないでしょう。そんな「語りを」親がしなければなりません。教師が説かなければなりません。近所の人に「あいさつ」をする習慣だけでも「自己肯定感」は十分にその下地が出来ること請け合いです。
新聞記事を読んだ「爺の感想」でございました。皆さんのお考えはいかがでしょうか?
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