2010/10/15

新聞記事に一喜一憂?


 ~じゃぁ、どうすれば良いの?~
 子育てに懸命な親からこんな呟きが聞こえてきそうです。
 そんな記事がこの1週間で2種類も目に留まりました。便利な世の中になりました。この種の情報が「氾濫する」ほどに数多く手元に届けられます。
 「新聞記事を読む」事などを学校教育関係者の間では、「資料を読む」と表現します。様々な教科指導で教師は沢山の情報を授業の資料として児童生徒に配布します。問題は、「資料を読む」力が付けられるか、なのです。データだけの数量判断では「学び」は深まったことにならないからです。
 この二つの記事で、どんな「情報として」役立てることが出来るでしょうか?「~なんだってよ」「~らしいよ」と新聞記事も独り歩きしてしまって欲しくないですね。自己肯定感とは?体力とは?それがアップしたり、ダウンしたりしていることが「どういう意味なのか」と考えなければデータと数値の変化についていけなくなります。そうなると、『調査』の対象者である青少年が「誤解されて・思い込み」の術中に填ってしまい非難の鉾先になってしまうと言う悲劇が生じるからです。
 便利さと豊富さで潰されそうな現代の青少年。
 問題はその当時者達に「問題意識」が伝えられていない大人社会にあるのです。エスカレーターやエレベーターをフル活用する若者をみると、「体力養成の本質」と日常生活習慣の重要性を痛感します。食べたいときに食べたい場所でウォーキングフードを満喫する光景を見るに付け食生活の躾も乱れていることに心が傷みます。
 ボール投げが「体力の一つ」であることは分かりますが、ボールを投げる力だけでは生きて行けないでしょう。そんな「語りを」親がしなければなりません。教師が説かなければなりません。近所の人に「あいさつ」をする習慣だけでも「自己肯定感」は十分にその下地が出来ること請け合いです。
 新聞記事を読んだ「爺の感想」でございました。皆さんのお考えはいかがでしょうか?
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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