2010/10/26

「もう一度会いたい先生」、って?

 ~「ドキッと」した記事~
 どんよりとした空模様の朝、衝撃が走る。
 今日一日のスケジュールも「気の向くまま」の毎日サンデー人生を生きる老輩には天候がどうも気分を左右させるようだ。今にも降りそうな空模様は苦手である。そんな朝、この新聞記事を読みながら後段の「誠実に勝る授業法なし」と断言した新聞記者の表現に「ドキッと」してしまった。
 現職を辞して、全国放浪の旅(?)を、人生終章の「天職」を得たとばかりに意気込んで「授業論」を説いて回っている小生には、ついぞ、忘れてしまっていたのが、この「授業論の基礎基本」であった。教員ではなく新聞記者だから・・・と遠慮する表現と相まって、このさり気ない結論に「ドキッと」したのである。   もう一度会いたい先生、て?どんな先生なんだろう、と自問自答してみた。そして、平凡な質問もしてみた。「キミは、もう一度会いたい先生になっていると、思うか」と。哀しいほどに返事の弱さを感じた。ウケを狙って、教室中が爆笑することが「明るく楽しい授業」とばかりに「腕を磨いた」若かりし頃の自分の姿がイヤと言うほど鮮明に浮かんできたではないか。もっとボンヤリ浮かんで欲しかった(笑)。
 11月に入ると、直ぐに「天職」(笑)の再開である。
 授業研究のノウハウを説くことになっている。授業後の検討会での具体的な指導も要求されている。指導法という業界用語も何だか胡散臭くなってきた。どうしようか?!老後の楽しみ(失敬!)の授業研究会への出向も二の足を踏みそうである。
 と、ここまで自分の素性を自然に「言葉で綴る」と、新芽が生えてくるのが可笑しい爺でもある。
 この記者が述べていることは、正しく「人生論」でもある。誠実に生きることは人生の基本である。授業研究会に出向しても、小生の「今のこの誠実さ」が消えるわけではあるまい。授業に対する「思い」と「夢」は格好付けて論じているわけではない。素直に小生の考え方を「指導法」として論じているのだから躊躇うことなんかないよ!(と、自分界独自の「天の声」)
 能天気な人生を歩んでいる当人も、しかしながら、この記事の訴える内容には十分な同意を持ったことは事実である。もう、すっかり曇り空から晴れ間が覗くような気分になった(羨ましいほどの性格でしょ?)。
 全国の「先生方」、自問自答ぐらいしても損はしないかも知れませんぞ。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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