たかが一通の葉書じゃないか。
されど、やっぱり嬉しい葉書じゃないか。
「はがき・道」に生き方を求めながら人生哲学を実践している現役校長からの「お礼状」の葉書が届いた。勤務校を訪れたのが去る10月7日である。葉書が手元に届いたのは9日の夕暮れだった。この葉書は四国で投函されている。受取人は関東である。
たった1枚の葉書ではないか。
この位の礼状なら誰だって、いつだって「書ける」さ。ところがどうだろうか?500枚の葉書を一括購入して「書き続ける」彼の実践生活はそう容易に真似の出来ることではない。
小生はこの校長の顔に会いたくて途中下車をしてしまう。
駅頭まで直接迎えに出て来て歓迎の意を伝えてくれる。校長室に入ってお茶を頂いていると、メモ帳を開いて日頃の実践の苦労話を語り始める。苦労話と言いながらも決して苦渋に満ちた表情には見えない。しかし、日頃の苦労が聞き手には良くわかる。
そして彼は、間髪を入れずに現職の立場から様々な角度で「問いを投げかける」。こちらも、伝える気持ちで本音を語る姿勢で「教える」ことに全力を傾ける。後輩の校長が「学ぶ」眼力にはこちらの心も奮い立つ。
旅の終わりに立ち寄った中学校の校長室。
旅の疲れは癒され、再び元気に戻って帰路に着くことが出来る。幸せを倍にしてくれる、素晴らしい人生の友である。
帰路の車中で浮かんできた人生哲学(即興・創作)をここで紹介したい。
伝えないと「通じない」/語らないと「わからない」/教えないと「学ばない」(角田明)
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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