2010/10/14

「山陽本線60分の旅」の後に・・・。

 ~JR 福山駅-岡山駅~
 30年ぶりの友人との再会のために「60分間」の山陽本線の車窓を楽しんだ。新幹線の車窓から見る景色とはこんなにも違うのかと思うほど「長閑な」風景にウットリしている間に目的地(岡山駅)に到着した。
 前日の仕事(=福山市小学校教頭会研修会)の任を十分に果たせたかは(いつものように)疑問符が付きそうだが、懇親会で癒されてご機嫌な「福山の夜」を満喫できたのは正に「講師冥利」だったと、頗る勝手な自己評価である。熱気溢れる研修会場の「教頭先生方」の、今後の活躍を期待するばかりである。
 今回の旅は旧友との再会も行程の一つ。
 岡山市で待っていてくれたのは岡山県新見市に住む友人である。出会いは遡ること30年ばかり前。当時、37歳であったことから逆算すれば、正確には29年の歳月が流れていることになる。瀬戸大橋が未だ工事中であった頃、妻同伴で岡山市を訪問した折、彼の案内で鷲羽山から工事中の本四架橋を眺めたことがあるので、まる30年間会っていなかった訳ではないが、思い出はやはり出会いという始発点の「筑波・中央研修講座」に戻ってしまう。
 中学校の英語教員としての受講生同志。その後はお互いの任地に戻って孤軍奮闘(?)。そして5年前に定年退職をしている。彼が現職時代後半に大病をしたことは便りで知ってはいたが、ろくなお見舞いもせず放置してしまった薄情な友人である。しかし、いつも温かい手紙で近況を知らせて貰っていたので、再会の最初の言葉は「大丈夫?元気だった?」となってしまった。
 男性同士の「長い語らい」は絵にもならないらしい。しかし、30年間の「空白」を埋める言葉には長時間を労してしまった。昼食の時間が待ち合わせ時刻だったので馳走を頂きながらも「過去の情報」交換には口が二つ以上欲しかったほどである(笑)。
 野球帽を被って髭を生やして・・・。想像からは逸脱していた姿ではあったが野球帽の理由も、髭の成り立ちも説明を聞きながら大きな病気との闘いへの前向きな彼の人生そのものであると理解できた。かく言う小生も、当時の黒髪もどっかへ置き忘れた状態なのだから人のことをとやかく言えるモノでもない。
 しかし、やっぱり加齢は嘘をつかない。いつの間にか話題が孫の話になってしまう。鶏を飼うことになった経緯も孫との関わりであったことや、奥様との旅の話や登山の予定などに聴き入りながら十分すぎるほどの時間を共有できた。至福の時間であった。
 元気で再会。これが別れ際に自然の流れで口をついて出たお互いの言葉だった。無帽での写真も撮ったがソフトバンクの野球帽が似合っていたのでこのブログではこの1枚でご勘弁いただきたい。
 帰宅して驚いた。教頭研修会の聴講者から数通のメールが届いているではないか。旧交を温めてご機嫌で帰った不謹慎な老輩としては、我に返って「身の引き締まる」朝となった。感謝。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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