2010/12/01

「小学校英語教育」を考える朝・・・





  ~フツーにやれば!?~
 普通に出来ないのが「研究授業」における指導者の心理。学校教育関係者にしか理解できない心理状態かも知れないが、実は、その極値に至るには幾つかの条件が存在することにやっと気が付き始めた。教職を辞して早や7年が過ぎる。四捨五入すると年齢も70歳になる。そんな老輩(廃)になった今頃、ホンの少しだけ分かり掛けてきている。その嬉しさのお裾分けをしよう。
 今朝もいつものように3時40分に布団から抜け出て書斎のPCに向かう。
 昨日の「研究授業」参観の興奮の余韻は確かにある。いつもの通りに数通のメールに返信をして、授業研究協議会で公約した、この「ブログ作成」に挑む。加齢は着実であるが、嬉しいことに「感動」を揺さぶる琴線は、未だしなやかさを保っていてくれるらしい。「興奮」として早朝の老脳にまだ十分な刺激として保存してくれていたことが何と嬉しいことか。
 茅ヶ崎市立東海岸小学校。
 2年越しの「小学校英語教育」に関して指導を続けている小学校である。2011年早々に公開研究会を予定している(上掲「一次案内」参照)。この小学校は所謂、国・県・市教委の『指定研究』学校ではない。業界用語で言えば「自主発表」を考えている小学校である。きれい事で挑めるほど、教員社会は甘いところではない。多種多様な教育論や研究論があり、管理職の一存で達成されるような世界でもない。しかし、この小学校での「研究協議会」は他校には無い一種独特の共同体意識が感じられる。協議会を営むグループ(校内研究部)のミニ集団のリーダーシップが見事であるとしか言い様が無い。参考までに校内研通信の最近版を登載しているので隅々までお読みいただきたい。共同体を形成する基本的な活動であることが理解できるだろう。
 何よりも授業である。
 前回の授業も凄かった。と言うより「ここまでやるか!」と言うほどに度肝を抜かれる「小学校英語」の授業であった。英語が堪能で、流暢な発音での展開では無い。聞き取れないぐらいの英語しか使用していない教員が、何故か輝いて見えた。それは、無理がない「フツーにやれば」精神が、この小学校では出来上がりつつあることが最大の要因であると確信し始めた。
 そして、昨日の教場。
 この小学校では、5~6年生の「英語授業」に備えるための準備段階(=馴らし教育)として1年生から「えいご」に親しませているのが魅力的である。3年生の授業を観た。15分ばかりの作業が組み込まれるのが「馴らし教育」の王道である。「冬のイメージ」で子供達が思い思いに小さな紙片に絵を描いた。期間巡視から、担任(授業者)が取り上げられたのが、上掲した作品である。読者の皆さんには、この絵が何であるかお分かりでしょうか?
 日本文化を見事に描いた作品である。取り分け作品の「上段」(黄色の絵)には度肝を抜かれた。茅ヶ崎市の小学校英語教育には市教委の配意で外国人講師と日本人英語アドバイザーが派遣されている。当然、この研究授業の教室にも2名の外部講師が絡んでいる。二人の(授業者にも子供達にもわからないように)協力し合っている光景をプロである小生は見逃してはいない。参観した教員の殆ども気付いていなかったのではないだろうか。この絵は「ゆたんぽ」である。外国で「ゆたんぽ」は使われているのか?二人の外部講師の配慮で、授業者が英語で質問した。Do you use HOT WATER BOTTLE in your country ?  明るく闊達な子供達に一瞬、異様なまでの静寂が襲ったようだった。担任の先生が、(外部講師の助言と指導を得て)その場で英語問答の時間を作ったからである。勿論、担任教師が「ゆたんぽ」を英語で何というのか、等知っているはずがない(失言?)。日本人アドバイザーによる「陰の協力」があばこそ。外国人講師は授業を抜け出して調べて再入室していた。あの数分の緊張感と驚きこそが小学校英語教育の狙うところではないだろうか。もう1枚の絵は「紅白歌合戦」だそうだ。小学校3年生の英語語彙が現れているので覗き込んで貰いたい。
 表現が拙いので、読者の皆さんに臨場感を伝えきれないのがもどかしくなる。45分間を、オールイングリッシュで・・・・なんて、フツーにやれば?出来るモノではないし、必要性も感じない。英語への興味関心が芽生えてくれれば小学校での英語教育は万々歳!級友が描いた「ゆたんぽ」の絵が英語への興味関心を増幅させてくれたような気がして我が意を得たりの境地に至った。
 ホンモノの英語教育は中学校の英語の先生達に委ねましょう。無責任?いいえ、教育の醍醐味はその「真からの無責任」にしか産まれない。こう述べる小生の発想が「無責任」でしょ?教育は他力を活用できる人にしか大願成就は為せないのです。担任教師一人が「学級王国」主義の教育で自己満足しているようでは子どもが相手になってくれない時代です。
 この小学校の強さは、誰もが「おれが・わたしが」の意識ではなく、「皆で渡れば怖くない」主義をフツーにやろうとしているところである。この共同体意識こそが「学びの共同体」づくりの根源ではないだろうか。15年前になるだろうか。市教委勤務時代に盛んに口にした「学びの共同体」という言葉。その小学校英語バージョンであることに気付かせて貰った。
 昨夜遅く、授業者から感動のメールも届いた。目頭が熱くなっている早朝である。






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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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