2010/09/30

2つの新聞記事

 

 こんな記事が目に留まった。
 そうなんだ!!と頷きながらも、ところで「草食系」って何?と問う老輩もあるかも知れない。(それは小生!!)
 我が子を「学力の低い」子どもと認知している親はホッとするのだろうか?反対に「学力の高い」子どもとして誇りに思っている親もホッとするのだろうか。

 そこで、警告!
 全国の都道府県が調査対象ではない。16都府県の18000人だけが回答者である。そして将来の夢を『調査』した『結果』として発表した、と早合点をするとどうなる?迷惑を被るのは対象者と同世代の「わが子達」であることを親軍団は認識しなければなるまい。
 記事の成否や信憑性を非難しているのではない。誤解は禁物である。このような記事は、「こんな傾向にある」という客観情報として親が認知することは重要である。
 メディアが悪いわけではないが、「資料の読み取り力」が欠乏しているととんでも無いことになってしまう。単なる「老婆心ながら」と読み取り願いたい。

 もう一つの記事は、
 高校卒業生へのエールである。世の中は「~活動」が流行のようである。就職活動を「就活」と短縮して表現している事がこの記事からも明らかである。「婚活」という日本語もあるらしいが、同輩はご理解いただいているだろうか。
 自らの活動は大いに奨励したい。高校生に就職先が抱負にあるような時代ばかりは続かないようだ。社会の担い手として「前途洋々と」飛び出す若者達に思いっきり働けるような時代であって欲しい。そこにこそ「活」が漲ること請け合いだからである。
 この老輩も、この記事を読みながら期待した。
 それは、中学生を我が子に持つ親が、こんな新聞記事を団欒の「お話しのおつまみ」にしてくれることである。いかがでしょうか?そして、我が子の置かれている厳しい社会を理解し合える時間が確保されたらサイコー(この表現も現代流)である。

2010/09/29

感想メールが届きました。

 ~遅くなった「栗」と「彼岸花」に添えて~
 今日は、全国の皆さんから届き始めた拙版ブログ『歩禅記』の感想メールをご紹介します。
 良く訊かれます、なぜ、ブログを?と。
 問われれば笑いながら、躊躇うことなく「自らの老脳トレーニングのためです」と応えています。トレーニングというモノは何歳になっても「厳しさ」と「忍耐」が必要とされるようです。パソコンが有する機能の「何万分の一」でも作業に駆使できるようにするには涙の苦労があります。キーボードの1箇所を何気にチョンと押したがために、そこまでの数時間が「帰らぬ人」になってしまうのです(涙)。
 だからこそ、鍛錬に挑まなければなりません。爺にとっては、内容や話題提供は二の次なんです(失礼)。お読みになる時点で、「茅ヶ崎の爺、なかなかやるなぁ~」と感心されるようなスキルがお目に留まりましたら「お褒めのメール」でも頂戴できますか?トレーニングの励みになります!!
 掲載した感想メールをお送りいただいた方には、この書面では失礼ですが「爺が喜んでいる」胸の内を添えてお礼状に代えさせ頂きます。今後ともよろしくお願いします。

昨日は「冷たい雨」の終日

 ~心温まる思いの20分間・・~
 京浜急行・追浜駅に着く頃は「警報」が発令されるほどの降雨だった。小学校の授業研究会に出講のために茅ヶ崎の自宅を出る頃も雨脚が強く、駅近くの市営駐車場まで車で行くことにした程だった。家を出て直ぐ近くのバス停で近所の男性が雨の中バスを待っている姿を発見した。声を掛けて車に乗せて駅まで移動した。
 小生は横浜駅まで行って乗り換える。同乗した彼は途中のJR大船駅で降りるとわかったので同行することにした。車の中が数分間、茅ヶ崎駅~大船駅間が13分間であるから合わせても20分間程度ではあったが話題がリアルだった。彼は後2日間で定年退職だと語り始めた。若い父親と思って接した(お互いの長男が親友同士)彼も仲間入りしたのか、と何とも言えない複雑な心境で彼の独演に耳を傾けた。あっと言う間の「旅の伴」であった。青森県のご両親のこと、今、近くに住んでおられる奥様のお母様の老齢化現象に苦労していること等々、尽きることなく語る彼の(全く抜けきれぬ)東北弁に時々は聞き返しながらも人柄の温もりと実直さを改めて感じさせられ、あったかい気持ちの時間をいただいたようであった。彼は「退社式」に出席するためであった。長い間の勤務、ご苦労様でした。別れ際に簡単な言葉でそんな労いの気持ちを伝えて別れた。
 この小学校の研究会は、訪問回数を重ねている。学校の全体的な雰囲気にも慣れてきているので「楽しみと期待」が訪問毎に膨らんでくる。主体性のある進捗状況にホッとするやら嬉しくなるような時間を過ごして雨の上がった追浜を後に、車で送っていただいて大船駅まで戻ることが出来た。
 そして、今日も同一小学校への連続訪問である。

2010/09/27

9月もいよいよ最終週!

  ~今日は寒い一日・・~
 ここ数日間は公私が混同した慌ただしい時間を過ごしました。
 当然ながら、公も私も大事なことなので「忙しさ」には不満はありません。しかし、多忙には老化が上手に順応できないので遅い時間の就床が連続するとバイオリズムに狂いが生じてしまうことは否めませんでしたね。早寝早起きのリズムに支障が生じているのは事実です。遅く起きてダラダラと・・・・。
 今日は終日を家の中で過ごしました。
 読書三昧?取り分け、イチローに関する新聞記事をここ数日分を全て読んでみました。日本人のイチローがアメリカという外国で、そして白鵬というモンゴル出身力士が日本の大相撲の世界で、「そこの文化」での記録を塗り替えていくという「新しい世代」交替には大きな感動を受けざるを得ません。「外国人」という日本語もそろそろ世代交代なのかも知れないと感じた午後でした。
 昨日届いた添付ファイル。
 それは、7~9月と請け負った連続講座の「最終回のまとめ」です。立派にまとめられたので、あたかも「素晴らしい講演だった」と誤解されそうで少々心配です。写真掲載の「まとめ」そのものから、地域力の凄さは感じ取っていただけると思います。ご覧頂いたら感想等を、小生のメールにお届け願います。
 明日からはまた、小生は仕事を再開。
 先日の立川『響の会』秋季研修会には、「風邪で欠席」という先生が数名ありました。気温が不順な折りです。風邪など引かずに頑張ってください。運動会が終わってホッとしている先生方も多いでしょうね。風邪に潰されないように気をつけてください。

 

2010/09/26

立川『響の会』秋季研修会



  ~時間が足りないほどに・・~
 9月24日の立川『響の会』秋季研修会は、通常とは趣が異なり重みのある研修会であった。若手教員の「実践発表」を受け、ミドルリーダーによる「経験値」に裏付けられた指導に準じる講評(助言)等が展開されて続いているのが当会である。代表の総括指導でまとめられた充実感に充ちた時間を享受できるので毎回の出講が楽しみな会である。
 今回は「指導的立場」にある立派な授業者の「実践提案」形式となり、聴講する若手教員には「目から鱗が落ちる」ような提案が随所に散りばめられていた。メモを取ることをうっかり忘れてしまう程の充実した時間が共有できたのではないだろうか。欲を言えば「時間不足」を感じた。それほど素晴らしい提案発表だったので、提案者の「生々しい」実践についての協議(質疑応答等)の時間を十分に保障してあげたかった。勿体ない提案だった。興味のある方は 教育実践・立川『響の会』事務局担当者(立川市立第七小学校・副校長 杉本信代)までご一報いただけると提案発表者との連絡は繋いで頂けるであろう。
 「手作り(手弁当)と木戸銭」をモットーに発足した『響の会』である。今回の立川『響の会』秋季研修会も会の設立趣旨に充当する「素敵な会」であった。快調としての心は「満足感」が更に満タンの状態で帰って来ることができた。代表および事務局担当、提案発表の2名の先生方、それに参会の大勢の先生方や保護者の方々に心より御礼を申し上げます。次回を楽しみにしています。
※ 二次会にも雰囲気に酔い、後ろ髪を引かれつつ中座して帰路へ。南部線で川崎駅。乗り換えて茅ヶ崎駅。自宅到着は日付が替わる寸前でした。翌日は遅ればせの秋の彼岸墓参。5人の孫達と終日を過ごして昨夕も就寝時刻が11時を回ってしまいました。早寝の爺としてはバイオリズムが少々狂いましたが楽しい時間でした。今朝はやっぱり寝坊してしまいました(笑)。

2010/09/24

『思い出』の人物

  ~その「お相手」は何も知らない・・~
 そんな思い出の人物っていらっしゃいませんか?
 恋愛の対象という人もあるでしょう。今回の新聞記事に登場した人物は、小生の『思い出』の人なのです。しかし、当のご本人様は小生など全くご存知では御座いません。
 23歳で高校野球の監督になった初心な時代に、和歌山県立簑島高校野球部の監督としてご活躍だった人物です。その他にも数名の『思い出』の人物として挙げさせていただきたい先輩監督人もいらっしゃいます。今朝はこの記事に気持ちが注がれ、若かりし日々の無茶苦茶な指導者だった自身を恥ずかしく思い出しています。
 神奈川県は高校野球のメッカの一つです。そんな聖地で教員稼業に就いた若い監督としては、無謀なほどの夢がありました。それは「県立高校」が神奈川県を制覇して甲子園に出場できること、でした。ここでは詳細が語れませんが、若い日々だからこそ「無謀なばかり」の夢を抱くじゃないですか!?その夢を託したくなるようなご活躍をされた監督が小生の生涯消えない『思い出』の人物なのです。決して、最初に勤務した高校が私立高校だったから考えた夢ではないことだけは添えておきましょう。
 ガン闘病中であることは「風の噂」で知っておりました。心の奥底に息づいている『思い出』の人物がこの記事で蘇りました。ひたすらに全快を祈る思いで記事を読みました。
※今日の夕刻は立川『響の会』秋季研修会に出講します。昨日からの雨模様と低気温への急変に老体の自律神経は正常に稼働してくれますでしょうかね(笑)。どちらさまも気温の変化に体調など崩されませんように!

2010/09/23

秋分の日

  ~お彼岸の「中日」~
 関東地方は朝から雲行きがおかしかった。
 天気予報は午後からは雨と気温の低下という。早朝からの強雨のために定期鍼診療を断念したのが先週の今日。妻はどんなことをしても今日は診療所に行きたいようだった。7時半の出発時刻には茅ヶ崎では降雨の心配は全く無し。いそいそと老夫妻は出掛けた。
診療中から雨脚が耳に強く耳に響いてきた。二人が診療を終えて車に乗り込むのに2分と掛からない。しかし、今日はずぶ濡れになった。雷鳴と強雨の帰路を診療師も診察室の窓越しに心配していただいた。通過する途中の中小工場のある街並みの所では「排水溝」からあふれ出る雨水を見ながら、集中豪雨に対する「都会の弱さ」も感じながら恐怖心と半々の思いで車を茅ヶ崎に向けた。
 自然災害の恐ろしさを垣間見た時間でもあった。
 無事に帰宅してホッとして眠ってしまった。鍼診療の午後は気だるさとの共生であり慣れていたはずが、ハンドルを握る緊張感も加わったのか異常な疲れを感じたのも事実である。昼寝から目が醒めたのが午後3時過ぎ。寝過ぎて今夜の「寝付き」を心配しつつも降雨が峠を越したことにホッとした。
 今年は諸々の条件で、お彼岸の「中日」を迎えている今日まで、まだ墓参を済ませていない。お墓を作ってからは初めてのことである。週末には、千葉の孫達と合流して墓参することにしよう。義父母も首を長くして待っていることだろう。
 昨日との気温差が10度。肌寒ささえ感じる夕方である。これが通常の秋?

2010/09/22

今夜は『中秋の名月』


   ~それがどうした?~
 英語では、 so what? と言えば良いのかな?
 今夜は拙宅の書斎からも「きれいな中秋の名月」(写真掲載)が見える。夕方から妻と二人で『夕暮れ歩禅』に出掛けた。目的は「すすき」をむしり取って来ること。しかし、ついに老夫婦の視野には「すすき」は入らなかった。
 中秋の名月がどうしたの?孫軍団に問われたら何と応えようか。
日本文化の衰退は歴然としている現状である。「お月様にはうさぎがいるんだよ」なんて、爺が言ったら孫達は何と応えるだろうか。「お祖父ちゃん、バカじゃないの?」がスタンダードな応えかな?そんな時代が日々刻々過ぎ去っていく。
 ともあれ、スーパーの店頭に「すすき」が商品として置かれる時代である。そんな時代の流れはあっても「文化の伝承」は意識して行きたいモノである。

2010/09/20

2944万人!の一人

 昨夜(9月19日午後6時過ぎ)のお月様です。写真では電線が邪魔ですが、とてもキレイな光でした。十五夜まであと3日ばかり。すすきと団子の似合う中秋の名月が楽しみです。

  ~「敬老の日」に思う~
 65歳以上の「高齢者」の数が2944万人、その内の80歳以上が800万人を超えたと、記事が語りかけ「高齢化が進行している実態」と締めくくりの表現となっている。小生にとっても数年前までは他人事に聞こえた「高齢者」という言葉である。しかし、自身も含んでいると自覚してみると妙な気分に苛まれてしまう。高齢化が進行していることが「迷惑な事態」に進行しているのではないかと疑心暗鬼の不安すらも募ってくる。
 母の日:お母さんありがとう!父の日:お父さんありがとう!
 響きも良く、明るい未来を感じる言葉ではないか。ところで、敬老の日:・・・・・・ありがとう!と言うのだろうか。誰が誰に向かって言えば、響きも良く明るい社会観を自覚できるのだろうか。高齢者の入り口に差し掛かった65歳世代の人たちの子育ては「じじ抜き・ばば抜き」の核家族世帯で、「団地スタイル生活様式」(ドアを1つ閉めたら社会と断絶できる)がもてはやされマイホーム主義なる「家庭中心」が優先され、周囲との関わりをできるだけ避けて「プライベート」を護ることのみに懸命だった。従って、『向こう三軒両隣り』意識の共同体が都会部だけに限らず地方都市でも氾濫した。「関係を持ちたがらない」証拠は、挨拶を交わすことも無い「無関係社会」を創りだした。
 「あそこのおじいちゃん、今日会ったけどお元気だったよ」「○○ちゃんのおばあちゃんが大きなバッグを持って帰って来たよ。どこに行ったんだろうね」等々、プライバシーに潜入するような話題が茶の間の団欒に色合いを添えていた時代はもう失せてしまったのだろうか。
最も衝撃的なニュースは、高齢者に近い「息子・娘」による、親の死亡を届けず親に支払われる年金を着服し続けている子世代が居ることが明るみに出たことである。哀しいご時世である。倫理観も道徳心も皆無と言っても過言ではあるまい。死亡している親御さんはどんな思いだろうか?胸も心も痛い。
「生きていて良かった、本当にありがとう」と、高齢者が親族や周囲に御礼を言える日。それが名称表現は適さないが「敬老の日」ではないだろうか。昨年から高齢者の仲間入りした新米としては生意気だろうが、こう考えている。
 「生かされている喜びを感謝の言葉に乗せて」改めて関係者全員に御礼を述べたい。
 そして、今後も、生きている限り、この「感謝の言葉」を元気で発することができるよう健康で生きていたいと神妙な面持ちで考えている「敬老の日」の朝である。

2010/09/19

大役の一つが終わりました!!

今朝の茅ヶ崎海岸の夜明け(写真:「茅ヶ崎の熱血カメラマン」高橋昭和氏)
  ~連続講座の「お務め」~
 午前中に配達された郵便物の中に「雑誌」があった。このブログでも触れた取材を受けた内容が記事になっている。電話でのやりとりには細かな部分で誤差が生じていることが良くわかった。巷では「週刊誌では・・・」との前置きをして語る人がいるが、細かな部分での表現ズレは当事者からすれば腑に落ちることが無いのかも知れない。つまり誤解を産む元凶になってしまう場合があるという懸念である。その感覚がチョッピリ分かったような気分でもある。
 ともあれ、一般庶民は「雑誌の中に自分の名前」が登場することなどない。当然ながら小生も週刊誌に登載されたことなど経験もないので記事を読むまでは少々不安でもあった。
読み終えて「ま、こんなモノだね」と妻に語りかけながら、午後の講座会場に行く準備を済ませた。
 7月から始まった連続講座である。
 過去にも経験があるが、「連続して」お請けすると一回も欠くことができない。代理者がいないからである。自ずと「健康管理と内容吟味」には気を遣うことになる。たった3ヶ月ではないか?とは言うモノのベストコンディションでの出講は厳しい。凡庸な小生にはマサに大役である。10月からは他の所で、また3回の新・連続講座が待っている。ともあれ、その大役の一つが終わって今朝はホッとしている朝である。
 
★掲載写真(下)は、会場に居合わせた市内の中学校の教頭先生が講演中の写真を撮って、昨夜の内に送信していただいていた数枚の写真の中の1枚である。週刊誌を使って「つかみ」の部分で悪戦苦闘をし始めたばかりの時間帯の一コマである。中々上手なカメラマンであると再認識してしまった(失礼)。

2010/09/18

「敬老の日」を前にして

 ~若者からの苦言~
 今朝の新聞の投書欄に目が釘付けになった。
 14歳の中学生の投書である。いや~、まいった!!小生も最近、とみにこのような光景と出くわすことが多い。追い打ちを掛けられたようで気が重くなった。
 高齢者時代ともなると、老人と出くわすことは避けられない。しかし、その高齢者の生活態度がこんな様子であっては若い世代の「敬老の精神」も萎えてしまう。時代は、こんな所からも確実に予測せぬ方向に暴走しているようだ。
 今日は午後から「子育て講座」に出向くが、若いお母さん達に「お話し」する爺としては少々出鼻を挫かれたような気分だ。

2010/09/16

背中を流れる冷や水


 ~「今」の現象は「今」生まれたモノじゃない~
 何ごとにも言えるだろうが、一朝一夕に「何か」が出来るモノではない。昨日今日起きた事件や現象は、ずっと以前に原因があり様々な経緯を経て発覚したモノである。朝刊に新聞記事に目を通しながら遠くに住む孫達の将来を憂う気分になってしまう。
14日の朝刊、15日の夕刊そして今日の朝刊と共通意識を連ねる記事にゾッとしている。もう一つ言えるのは、この事象が単独で起きることにはならないと言うこと。つまり、総合連鎖で「どれ一つ取っても」成立しない「世の中現象」である。わが国の昨今の「日本列島動揺状況」を認知せざる得ない現実を考えれば考えるほど頭痛がしてくる。小学校教育への期待は大きい。長い間、学校教育の軽重は「進学や就職」のことを重視して来たので中学校や高校の優劣をその尺度で付けてきた。しかし、今、「子供達が狂いだした」とでも言いたいような見出しやその記事の内容に触れると「小学校教育」の重要性がやっと陽の目を浴びることになるのかも知れない。人間としての尊厳は生まれてからせめて10年間で育んで教える必要があると、持論を敢えて述べておきたい。
 孫(幼稚園・年中)から「敬老の日」に当たっての葉書が届いた。まだ、文字の読み書きもできない孫が幼稚園での指導を受けてスパッタリングとやらで「いちょう」の作品を葉書で送ってくれた。この孫も2年後には小学生となる。幼稚園に通い出して半年が経つ。集団生活もままならぬ全く『無垢』の園児が一歩ずつ社会生活に踏みだす練習が始まったようだ。幼稚園の先生方のご苦労を思いつつ感謝しながら葉書を見詰める爺婆である。3年生になる孫娘は封書で「お手紙」をくれた。小学校教育を受けて2年半が過ぎている。葉書と封書の2つの「こころの成長」に、学校教育の偉大さを痛感している。教育の威力をまざまざと見せつけられた気分である。孫達には、それぞれに葉書と封書で返事を書いて投函した。もうすぐ「敬老の日」?そうなんだ!そうなんだ!と何度も呟きながら「敬老の日の対象者」としては、孫世代の多くの子供達の将来を憂う気持ちになるのが辛い。
 
今日は予定では鍼診療日。出発時点(午前7時半)の強雨に雨中の遠距離運転に拒否反応を起こしたドライバーは相棒に相談もせずに断りました。皮肉なことにその後雨も弱まりました(笑)。ま、いいか!!

2010/09/15

久し振りの『示範授業』



 ~子どもの感性の鋭さ~
 理屈抜き!
 10~11歳の集団に66歳の爺ちゃんはシャッポを脱がされました。語感も素晴らしく知らない単語も耳を頼りにして瞬間にキャッチしてしまいました。短文も講師の英文朗読に全く抵抗もなく(担任教諭の事後談)覚えてしまうのです。
 勿体振って(笑)準備した労脳には、まさに衝撃。 問題提示をして巡視し始めて思わず唸ってしまった。「いや~、まいった!」の連発でした。「り」で始まるカタカナ文字を探させて「言葉の成り立ち」を考える授業でしたが、到底出て来ないと踏んだ爺脳は見事に裏切られました。3つのカタカナ文字が全部分かってしまったのです。負け惜しみなどありませんが、「嬉しい誤算」の授業でありました。

2010/09/14

誘導の『発想法』を考える

 ~「話材」は日常的な取材力から~
 「小学校で英語の勉強が始まります」のキャッチフレーズも、ここに来てトーンダウンしているような気がしています。なぜ?それはマスコミを含めてメディアの取材標的が目まぐるしく変わっているからだと思いませんか?今夏は一貫して「異常気象」に振り回されて熱中症という言語から派生して「生きていれば134歳!!」とやらで戸籍の問題から「飛んで飛んで・・・」家族の絆という哲学論まで到達しました。
 今日のブログの話材はこれではありません・・・。
 今日はこれから市内の小学校で「英語の示範授業」をします。その後、定例の校内研究会です。授業を示範します。授業者としてのスタンスは今日もいつもと同じです。それは「授業を創る以前の意識」づくりです。つまり、授業を始めるに当たって授業者の語りかけのきっかけをどこから持ち込むのか、という視点を示範してまいります。
 掲載写真版の英語の文字は、新聞の大型広告版です。今日の英語の授業ではこれは私用しません。これも話材の一つとして掲載しました。これでどんな授業へ誘いますか?つまり、日常的に「授業づくり」の視点で注視しているとどこにでも話材は散在していると言うことです。「教師の日常的な取材力」が、授業への誘導を速やかに且つ興味をそそる雰囲気に持ち込めると言うことです。
 今日の授業の話材は別に取材したオリジナルです。明日にでも公開しましょう。高価な「資料集」から調達するのも否定はしません。しかし、日常の生活の中からヒントを頂けるという「安上がり」の取材をお勧めします!!

2010/09/13

突然の『取材』!!

 ~何回受けても緊張する!~
 卒業生の華やかな成績で、中学時代に関わった教員が取材を受ける。
そんなに珍しいことではないほど場数を踏ませていただいている。今日も突如のメールでの取材依頼であった。当然ながら、プロ野球界『時の人』中日ドラゴンズ投手の山本昌広に関係する取材である。親しくなったスポーツ記者もあるほどに野球界担当の人からは多くの取材を受けているが、今回は講談社出版の「週刊現代」の記者である。
 取材の主旨をメールの活字を追いながら確認して、取材OKの返信をした。
 約30分間以上の電話での取材。記者の顔や表情が見えない所は不安材料ではあるが、何とか質問事項には応じることで大役を果たす。この種の取材がこれからは多くなるだろう。教え子の活躍が老輩の脳裏に刺激を与えるのか。感謝である。
 明日は小学5年生の学級で「英語の授業」をする予定になっている爺さん。新しいバージョンで、また「楽しい」授業をやるために午後は必死に教材作りもできた。明日も楽しい一日になりそうだ。

2010/09/12

何とか目処がついた『依頼原稿』 

  ~性分は治りません~
 先週の月曜日。猛暑に負けそうで昼寝を微睡んでいると携帯電話が鳴った。
名乗ると直ぐに(開口一番)、「申し訳ありません」であった。某出版社の編集担当者からの原稿執筆依頼の電話であった。締め切りが9月15日と言うではないか。殆ど断ることを知らない小生は多くの原稿の執筆や、思いがけない講演も引き受けてしまう。これは治せない性分である。つまり「生来のいい加減さ」で人生を歩んできたことを証明する一連の言動である。
 しかし、流石に締め切りまでの時間が余りにも無さ過ぎる。今回は天性の好い加減さも少々躊躇してしまった。同時に脳裏を「自信の無さ」が過ぎった。文字数も4000文字となると最低でも2週間は欲しい。活字にするための裏データ(裏付け)も必要である。必要に応じて、裏付けになるような取材の旅(時空)を確保したい場合がある。現地に行って臨場感と歴史的事実を調査することも必要になる。月曜日に執筆依頼を受けて締め切り日が来週の水曜日では、淡泊且つ在庫不足の小生の「脳味噌」では味付けどころか、それ以前の料理手法すら浮かんで来ない。
 丁寧にお断りしようと言葉を発しようとした瞬間、「先生、助けてください。依頼していた執筆者が病気で書けなくなったとの一報を今日受けまして・・・」との懇願する声が耳に付いてしまった。「担当者も大変な苦労だろう」、と脳味噌とは違う余計な人情脳が活性化してしまった(笑)。出来るかどうか自信など無い癖に「わかりました」とお引き受けしてしまった。自分でも毎度の事ながら自分の好い加減さに呆れつつも、電話を切ってしまったらもうどうにもならない。これが依頼を快諾(と依頼者は表現する)した。何と損な性分だ!と今更自分に八つ当たりしてももう断れない。
 今回の「裏付け」はここ数年で全国を駆け巡った各地の小中学校での『教育指導実践記録』(小生の「パソコン・フォルダー名」)からの検索だけである。5年前に遡り、実態と依頼原稿のタイトルとの照合をしながら「原稿にする」作業に終始するだけであった。
 早朝の歩禅も中断して執筆に集中。
今朝7時前に何とか字数を満足する粗末な原稿の原稿が出来上がった。これからは字数調整と内容の吟味である。15日の締め切りには確実に間に合う目処が付いた。ホッとしている。数日前から少し秋風が書斎を吹き抜けてくれたのも幸運だった。大した内容の原稿にはなれないが、「編集担当者の責任は果たせるのかな?」との能天気な観点で、今朝もまた好い加減人生は進捗中である。
 この記事が季刊誌として世に出たら、当ブログででも「悪戦苦闘の足跡」としてご紹介することにしよう。

2010/09/11

後輩へのエール

玄関先の郵便受けにこんなチラシが!えっ、もう?そんな時期?そうなんですね。暑い暑い暑い・・連発の夏から初秋。現状認識との時差のギャップを痛感した情報です。皆さんの家にも届いているでしょうね。

 ~「若い」って、やっぱ良い!~

9月10日18:14受信
こんにちは。突然のメール失礼いたします。本日は教育経営研修会でのご講話ありがとうございました。教育経営、戦略についてのご講話でしたが、先生のお話を伺っていて、管理職・経営者と言えども、主役は子どもという教育の原点、また子どもと共に学ぶという教育の基本を忘れてはならないと感じました。なにより楽しそうにお話をされている先生の姿や表情を拝見して、「先生が楽しまなければ~」という教師の基本を改めて感じ、最後まで楽しくお話を聞かせていただきました。大変感銘を受けたのとともに、自分の教師としての生き方をもう一度見つめ直す機会がもてました。先生のお話の内容を一つでも多く生かし意識の計上をしていけるよう、全力で教育活動に取り組んでいこうと改めて思いました。これまで多くの方の講話を聞く機会がありましたが、今回特に心に響くものを感じたので、失礼とは思いながらお礼を言いたく、メールさせていただきました。ありがとうございました。

 昨日の夕刻、帰宅直後のメールチェックでこのメールを確認しました。
 能天気で開き直り屋さん(=自称)の小生でも、「講演は疲れます」と言うと知人友人達はこぞって「うっそ~!」と声を発します。なぜ?このメールの文面からもそれを裏付ける箇所があります。楽しそうに見える?らしいですね。
 昨日の受講者は選ばれた20名の教員だけです。若さ溢れる教場でした。若いって良い!!そんな心情になると先輩面をして冗談も言いたくなってしまいました。「来たくなかったんじゃないの?校長に言われて渋々受講しているんでしょ?そうであれば聴講も厳しい時間になりますね。運動会の練習で大変な時期なのに学校を空けるなんて、と仲間の目線も厳しくなかったですか」、と立て続けの雑談。この時間は確かに楽しそうに見えたでしょうね(笑)。
 ともあれ、(より)若い視線に胸がゾクゾクしました。この受講生は、将来の「日本の教育界」を背負って生き抜いてくれる後輩達だと思えたからです。昨年に引き続いての講師をお請けしましたが、昨年同様に心地よい刺激を老体全身にいただいて(笑)、帰路の宇都宮線の車中の人になりました。
健康管理に気をつけて、夢とロマンを語れる管理職になって欲しいと願いながら帰って来ました。疲れましたが、「爽やかな疲労感」は翌朝には「元気」の源になってくれています。この爽快感は癖になりそうです!
 朝夕の空気が秋らしくなりました。昼間は「残暑は当分の間」続くそうですが、気合いを入れて秋の(お請けしている)公務に挑みたいと心新たにしている朝です。 

2010/09/10

一気に秋の気配

埼玉県三郷市在住の白川好光氏から昨日届いたご自身の執筆原稿です。心温まる「厳しい」提言にはいつも頭が下がります。ご一読下さい。

  ~この気温が「本当の今頃」?~
 今日はこれから埼玉県さいたま市に出講です。
 大先輩に推薦を受け、さいたま市立教育研究所に昨年から研修講座を受け持っています。教員(学校経営者)の人材育成のためのプログラムのようです。講師としては連続の担当ですが、受講者は多分違うと思われます。
 急務と言われる「経営者の育成」は、都道府県どこの教委にとっても難題です。促成栽培では人が育たないからです。栄養価の高い食品を大量に食べさせたり、栄養バランスの取れた(流行の)サプリメントを飲用させて、俄に立派な学校経営者が誕生するとなればそれも一つの手法かも知れません。しかし、そんなに甘いモノでもないようです。
 どこの担当部局でも懸命な取り組みが手に取るように伝わってきます。講師としてもその緊迫感がわかればわかるほど責務を感じざるを得ません。しかしながら、何せ、この程度の人間力の持ち主には如何ともし難い超・難題です。
 せめて、今日も果たすべくは「推薦者」である先輩の信頼を裏切らないように後輩教員(受講者)に誠意で語りかけてくることだと言い聞かせている所です。無責任にその場凌ぎの「お喋り」で任を果たそうと等全く考えていません。
 「人が変わる」には基本的な条件があるように思います。それは「感動+感激=衝撃」だと考えているからです。「目から鱗が落ちる」ような衝撃は、人の心と思考に変化を及ぼすのではないかと、凡庸なわが人生を振り返りながら考えることがあります。
 たかが「1回の講座」ではないか。しかし、そのような衝撃が走れば内面的な動揺が希望への行動と繋がると考えれば、されど「一回の講座」との考えに至ります。そのように考えると力量不足な我が身を知らず「お請け」した身の程知らずの自らに嫌気すら涌いてくるのですから無責任極まりありません。
これから東海道線で東京駅、山手線で上野駅。東北線で浦和駅まで移動することになります。道中も今日の講座の構成で悩み抜くことでしょう(笑)。そして、結局は得意芸の「開き直り」モードで「無い袖は振れぬ」、と笑顔で会場に到着するでしょう。この気温が「本当の今頃」?身の引き締まるような涼しさをプラス思考に替えて、行ってまいります!

2010/09/09

20数年前にタイムスリップ

昨日早朝の茅ヶ崎サザンビーチ。遠くに見える烏帽子岩は台風の来襲を気付いていたのでしょうかね?
 
  ~20年数前の「自分」と再会~
 昨日の気象はまさに異常そのもの。
 福井に上陸した台風が岐阜経由で東海へと、日本海から太平洋へと直角に進路方向を変えた?のだから、まさにアンビリーバブル!!
 昨日は久し振りに市内の中学校を訪問した。
控え室の校長室へご案内されて廊下を歩きながら職員室の中が「覗き窓」から見えた。突如、中からドアが開いた。出てきたのが20数年前に「新採用」だった教員。学年主任だった小生の隣席で1年間「見習い稼業」に精を出した教員である。20年の歳月は生まれたての赤ん坊でも「おとな」になる期間である。立派に成長した彼の堂々たる態度に思わず感涙を催した。
 誘われるままに職員室に顔を出してみた。
驚き!!同じ中学校で共に苦労した後輩がまたゾロ。懐かしい思いが感激の声となって職員室内が騒然とするほどであった。中学校教育畑で育った小生が、「教員の晩年」は教委と小学校であったので多くの後輩との直接的な接触は皆無であった。もう、すっかり「大昔の自分」を忘れていた小生に、彼も彼女も飛びかからんばかりに近づいて来て「懐かしいです。お久しぶりです。ご無沙汰しています」から、仲人を務めた教員も眼前に現れ、驚きのこだまは響くばかりであった。多かった言葉は「お元気そうで嬉しいです」であった。ちょっぴり時の流れを恨みたくなった。これは講演前の光景である。
 90分間の聴講は一種の修業とは言うモノの、小生は敢えて「拷問」とも揶揄するほどの時間でもある。話題を展開しながら、真剣に聞き耳を立てながらメモを取るあの当時の「若い教員」の姿勢に胸が熱くなってしまうことが何回もあった。
 講演を無事(笑)に終えて控え室に戻る。今回はこの中学校の保護者も参加する合同の講演会だったので控え室は保護者でごった返しであった。従って懐かしい旧友との語らいは殆ど出来なかった。しかし、久し振りに「心躍る」再会の機会になって、この老輩が勇気を頂戴した貴重な時間であった。
 帰路は、大雨洪水警報の中、教頭先生(彼も2つの勤務校で一緒に勤務)の自家用車で、冠水した道路を避けつつ長時間を要し自宅まで送ってもらった。車中でも(無口な)教頭先生と、お互いに若かった日々を懐かしんでの会話に花が咲いた。迷走台風の(迷惑な進路)温かい思い遣りに包まれ(笑)、楽しい半日を過ごすことが出来ました。やはり、自然現象には逆らってはいけないのだと感謝し直したことでした。
 後輩諸兄の今後の活躍を心から祈っている台風一過(?)の『重陽の節句』の朝です。
写真提供は小生のHPにリンクしている茅ヶ崎市在住の有名なカメラマンです。毎朝茅ヶ崎海岸の写真をHPで公開してくれています。どうぞご鑑賞下さい。

2010/09/08

新・歩禅記(34)  4:30~5:10 5000歩


  ~「台風の通路」も異変~
 定刻の4時半出発。まだ真っ暗に近い状態なので空模様は判断できなかった。今までと確かに違ったのは「どんより」ムードの空であった。30分も歩いた時点で、「あ、雨が・・」との妻の小さな叫び声。少し勢いが増してきたことを感じ取ってUターン。
 出発前に聞いたラジオの天気予報。鳥取の日本海上を北東に台風が向かっていて北陸に上陸するらしい。その後、北関東に向かうとの情報。「関東地方には夕方から強い雨が降る」と聴き取っていたので無理をして歩くことを避けて途中で引き返してきた。
 こんな台風の進路も珍しい。九州の西を通過して日本列島を覗き込むように日本海の北の海上を通過し、北陸に上陸して北関東へ。前橋や館林、それに宇都宮に都市名が浮かぶ。これらの都市は今夏「最高気温」を何度も記録したことで何回も聞いた地名である。群馬県で「ゴーヤー」を特産できると言う話題には、我が耳を疑ってしまった。
 今年は自然界の異変を痛感することも多かった。「猛暑日」という言葉にも麻痺状態。しかし、考えたい。今年、急に猛暑日が増えたのではないことを。前兆は何年も前からあった筈である。そんなことを考えながら北陸に向かっている台風の余波。
 そんな「茅ヶ崎の朝」の空と、収穫が近くなった稲田を写真に撮ってみた。

2010/09/07

少しでも雨が降れば・・・

 ~身勝手なお願い~
 (写真をご覧になって)雲の様子がいつもと変わっているのがわかりますよね。
 少年時代を「台風銀座」(と、教科書に記載されていたので)で過ごしたので、東の空や西の空の「雲行き」を見詰めながら祖母がポツリと何かを告げた言葉。すっかり忘れてしまっていたと思い込んでいたのに妙に蘇ってくるのです。皆さんにはそんな経験はないですか?この写真は東の空です。これから日の出をおよそ1時間後に待つ東の空です。朝焼けのような真っ赤な部分は晴天を指し、綿を引をきちぎったような雲がこんな風にに点在するときは風が強い。今ほど正確な天気予報など無い時代です。農家の人たちが祖母に尋ねに来ている姿も浮かんできます。
 生家からは西の空に「雲仙岳」がハッキリ見えていました。天気予報の根拠は雲仙岳の様子にあったような思い出が残っています。東の空には九州山地が連なっていましたのでその変化も根拠になっていたような気もします。
 今朝は妻も同伴で4時半に家を出て60分間の『早朝歩禅』を満喫しました。台風の影響なのか風が強く、少々歩きづらかったのですが夜明けの時刻が遅くなっていることを話題になりました。季節は確かに移ろいを示していることを感じた朝でした。
 風のお陰で発汗作用も少なく感じました。少しでも降雨があればグッと秋を引き寄せられそうな気分になりました。これは身勝手な願い??

2010/09/06

一ヶ月遅れの「ニュース」


  ~「今夏最大のイベント」で学んだこと~
 8月7日(土)実施の第15回教育実践・ちがさき『響の会』夏季特別セミナー。
これは主宰する会の年間最大のイベントである。以前のブログにも記したが、区切りの良い今回の「第15回」を最後にして会を閉じようかと心密かに気持ちが傾きかけていた。熱が冷めたわけでもない。後継者への伝達に裾野の広がりを感じ取れなくなったことが大きな要因だと自己分析をしながらずるずると時間を過ごしてしまった。
 基調講演を依頼することも大変遅い時期になってしまったのも心の動揺があったことをが如実に明かしていた。2ヶ月前になって「出講を依頼する」とは、講師に対しても失礼極まりないこと。重々承知していながら、気持ちの整理が着かないと何ごとも後手に回ってしまうモノである。愛知県小牧市を訪れたのは6月12日。当市で開催されているセミナーの講師として訪れ、副島氏と再会した。講師の依頼をしたのは、その懇親会の席上であったこと自体も恥ずべき体たらくであった。今となっては「穴があったら入りたい」心境である。気持ちよくお請けいただいた瞬間以降、当日までの自己嫌悪は前代未聞であった。非礼の極を突きつけた張本人として当日の到来をこんなに不安な思いで迎えたことも前代未聞である。当日は市内の中学校教員には市全体の大きな行事が組まれていて参加者はゼロであることも会場で知った。顔面から火が出るほどであった。
 氏の講演の中に「校長を見れば学校がわかる」という親しい友人の研究者の発言を引用された下りがあった。主宰者を見ればその会がわかる?聴きながら、今度は背筋に冷たい水が流される思いがして寒気さえ覚えた。前代未聞の極めつけは「参加者が異常に少ない」ことであった。常々「数の原理」を否定して憚らない主宰者であるが、こんなにまで少ないとは!?俄か仕込みのような会の運営にトップとしての怠慢を痛感したのである。参加したい中学校の教員も大勢いただろうし、主宰者としても聞いて貰いたい管理職も大勢いるのだから、行事の日程確認も怠り、変更もしなかった主宰者としての緩慢な姿勢が全て会場に表出したことになった。
 掲載した氏のブログを一読いただいても、素晴らしかった「夏季特別セミナー」と受け取られそうである。だからこそ自責の念に苛まれることになってしまう。
 氏のブログの存在は承知している。あれから1ヶ月間「開く勇気」がなかった。引き金は昨夜届いたメール。氏のブログの内容が記されていて、締めくくりに「第16回は茅ヶ崎に行きます」と結ばれていた。 早朝歩禅のために4時前に起床した。気になって出発前に恐る恐る「勇気を奮って」氏のブログを覗いてみた。
 開き直りは得意芸(笑)。
 そこで、今日は(恥ずかし乍ら)、一ヶ月遅れのニュースとして読者の皆さんにお届けする事にしました。これは個人的な『禊ぎ』の証です。今朝も4時半から1時間「早朝歩禅」を済ませました。夕べ遅く届いていたたった一つのメール。たかが?いや、されど!!心新たにして来季に向かって歩き出すことを心に誓いながら早朝歩禅から帰宅しました。
 副島孝先生、発表者の先生方 そして参会者の皆さん、失礼や非礼の数々をお許し下さい。
 そして、改めてここに「一ヶ月遅れ」の御礼を申し上げます。本当に有難うございました。どうぞ、来年をご期待いただいてご参加下さることをお待ちしています。よろしくお願いします。

2010/09/05

『脱帽する』の深意に達した心境



  ~ 意表の朗報に興奮しながらも・・~
 携帯電話のコールとメールが次から次へと押し寄せて、今朝まで続いた。少々寝不足でありながらも寝覚めの良い爽快な朝を迎えることが出来た。
 一時期に流行した(?)言葉に『想定外』がある。あんまり好きではなかったので使う時は意識をして「時代の笑いを得る」ための軽いタッチでしか使わなかった。しかし、昨夜の朗報をTV画面で「同時刻」で確認したときは「意表を突かれた」とばかりに自らを失うほどであった。まさに「想定外」であったと言わざるを得ない。
 昨日は急用が発生して朝から長男宅(茨城県土浦市)に向かった。そして、とんぼ返りで帰宅した。帰路の車中では試合の途中であった。「未だ投げていて欲しい」と願いながら酷暑の中でも自転車のペダルを踏む足に力が入った。帰宅して着替えもそこそこにTV中継を注視した。結果はご覧の通りとなり、もう涙までが汗と一緒に流れ落ちる始末。
 32年前(山本昌広は13歳、小生は34歳)。
 一人の教員が中学1年生と出会った。小生は山本昌広が在籍する中学校の教員だった。教室では英語を担当して、放課後は野球部の指導者として勤務していた。彼らが入学してくる1年前に市外転勤で異動して来たばかりである(巡り会わせとはこんなことだろう)。彼らの中学校野球部活動の3年間は「地獄を見る」(と表現した保護者がいた)練習を課した。野球の練習そのものも厳しかっただろうが、それ以外への指導が厳しかったことは自他共に認めるところである。
 今日はその一端(部員と家族に配った資料)をご紹介したい。
 当時は手書きであったがボロボロになってしまったので、原版にして保管している。野球の技術指導はほとんどと言って「していない」と言っても過言ではない。「した」とすれば「キャッチボールの基礎基本の徹底」と「確実なバントが出来るための基礎基本の徹底」だけだと記憶している。バッティング練習など選手にも記憶が無いかも知れない。厳しかったのはこの部訓に示しているような「心理面の成長」への指摘と指導だったと意識している。結果的には、この中学校の野球部からはその前後にプロ野球のドラフト選手(山本昌広以外に)が誕生しているのだから不思議で仕方がない。
感動の翌朝になって、更にもう一つの表現が迫ってきた。
 それは『脱帽する』という言葉である。
 師匠は弟子の成長に脱帽する。教え子の立派過ぎる成長を目の当たりに見せつけられると浮かぶ言葉は、もうこれしかない!願うは「驕ることなく」常に「人間らしい神経を使える」人生を、これからも全うして欲しいだけである。現役プレーヤーとしての勤務年数も有限である。プロ野球人としての「有終の美」を悔いなく過ごして欲しいだけである。脱帽したばかりの恩師が、未だグダグダと立派な教え子にお説教しているようでは本来の「脱帽する」ことの意味を理解したことにはならないようだ(笑)。許されたし!!
★『脱帽する』= ①敬意を表するために、帽子を脱ぐこと。②比喩的に、その相手にはとてもかなわないとして敬意を表すること。  (=【広辞苑】より)

2010/09/03

新・歩禅記(33)




  ~夏から秋へ・・?~
 今日は『独り早朝歩禅』(4:50~5:30 6000歩)。
 当分は「猛暑日」が続くという天気予報士の言葉を聞き取りながらも今朝は久し振りに早朝歩禅に出掛けた。今夏は早朝の歩禅をあまり実行しなかった。言い訳がましいが、昼間の「外出予定」が目白押しだったことと、昼間の行動の延長線上に「夜の付き合い」が存在したために就床時刻も平均10時を過ぎるという日々が多くなったこと。これが要因であったと考えている。つまり、規則正しい「爺さんリズム」が大幅に狂った夏だったと言えるのかも知れない。
 4時に起床して5時前に歩禅に出発。
これは通常の爺のバイオリズム。鍼診療日(木曜日)の午後から翌日に掛けては妻は体調変調が表出する。今朝も「無理をすれば・・」の状態だったが無理をしないように指示をして独りで歩禅に出向いた。
 写真で見る朝の状況。
 確かに季節は「夏から秋へ」移行している。最たる証は夜明けの時間がこんなに遅くなっていることである。薄暗い足下の草むらからは「秋の虫の合奏」が賑やかだった。自然界の「地上と地下」では「確かな秋」を実感しているようにも聞こえた。
 そう言えば、昨夜は「暑い」夜気に負けて目を覚ますこともなかった。エアコンを使わない老夫婦にとって「窓を開けて寝る」習慣から、敏感に夜気の温度も体感するのである。汗をかいて気持ち悪くなって下着を取り替えた夜も今夏は数回はあった。それに比べると夕べは快適な眠りだったのだろう。定時の起床に抵抗感もなかった。夜遅くまでの「深酒」もなかったことが最大の要因であることも事実であろうか(笑)。
 そんな「秋」がやって来ていました。 しかし、日中の陽ざしは一向に弱まる気配は無いらしい。運動会の練習で「熱中症」だと、学校関係者の健康管理面まで世論が突っつくことになってしまう。ご苦労なことだと思いつつも大変な稼業だと今更の如く考え込んでしまう。学校も始まって間もないが、日々、大回転への弾みが着くことでしょう。実りの秋を目指して前進して欲しいモノである。

2010/09/02

それは2000年9月2日(土)に始まって・・

 ~満10年が経ちました~
 読者の皆さんの中には小生が「鍼診療」を受けていることをご存じの方が多いと思われます。その受診を始めたのが10年前の「今日」です。当時は、市教委の部長級の要職にありました。自らの体調不良だけを押し通すことも出来ずに家族の心配を無視してがむしゃらに業務に携わっていました。その年の9月に結婚式を控えていた長男が妻や娘達の心配を総括するかの如く「ちょっと話がある」と詰め寄ってきたのです。殺し文句は「孫も抱けないような親父じゃ面白くないだろう!」でありました。そして、長男が勤務する作業所で知り合った鍼治療師を紹介してくれたのです。
 当時はまだ、「老いたら子に従え」とは承知こそしていませんでしたが、当時の高血圧症は検診に当たられた医師も驚くほどの異常な高さ(機器での「測定不能」のメッセージ)でしたので、息子の真剣な申し出を受けるつもりで鍼診療を受診することにしたのです。診療士から「薬の害」の話を診療時間中にずっと聞き始めて洗脳されたのでしょうか?勇気を奮って「薬とおさらば」しました。そして、満10年になってしまいました。
 不安が無いわけではありません。しかし、自らの身体に免疫力を付けることの重要性を実感してからは、体質改善に積極的に立ち向かえるようになったような気がしています。基本は「身体の75%」を占める「水」への注目でした。38歳の折、仕事でヨーロッパに行きました。土地の人たちが「水を買っている」現状を知って驚きました。「いずれ、日本もそうなりますよ」と囁いた現地ガイドの声が蘇ってきたのも「水への注目」に拍車が掛かったのでしょう。
 体質改善が「体内の水の交換」と診療師に言われ、一朝一夕には出来ないことも学びながら10年間歩んできました。新型インフルエンザ等々の話題もありましたが神経質になることも全くありませんでした。いつの間にか持病の一つだった花粉症もほぼ自覚症状も消えてしまっています。ほぼ体内の水は交換できた頃なのでしょう。裏を返せば「自己免疫力」が付いてきたのではないかという朧気ながらの自覚症状も感じるようになっています。この酷暑が続く中、エアコン無しの夜でも「眠れない夜」にはなっていないのが、夫婦揃っての「嬉しい誤算」とでも言えるのではないでしょうか。
 体温が下がると免疫力が落ちるのだと診療師から指摘されました。
今は朝・晩の「体温」をしっかり観察することで体温の変動に注目しています。デジタルではなくアナログタイプの体温計を使用しています。小生の体温は朝・36度2分、夕・36度8分が平均値です。皆さんの体温はいかがでしょうか?
今日も、妻も一緒に「おにぎり」を持参して片道1時間45分のドライブを楽しみながら鍼診療に行ってまいります。

2010/09/01

今日は「防災の日」

  ~備えあれば憂いなし~
 今日の夕暮れは『独り歩禅』。
 妻の体調が悪いわけではない。プリンターのインク切れと銀行のATMに行く用務があったので久し振りに独りで出掛けた。午後4時に出発した。玄関を開けた瞬間の陽ざしは真夏並み。躊躇いながらも時間制限のある用務なので一気に進み出した。そこで、夕陽が作る「日陰」の足が延びていることに気が付いた。
 思った以上に「日陰・木陰」が多く、思ったほど暑さも感じなかった。
 そうだよね~、9月だもんね。妻と二人ならこんな会話を交わしただろうが独り言にもならないので、快調に歩禅を満喫できた。
9月1日は「防災の日」である。『喉元過ぎれば熱さを忘れる』、のか。阪神淡路大震災の直後には「防災グッズと備蓄食料」とやらを我が家もどっかに(笑)きちんと備えていたと思う。食品には賞味期限とやらがあるので、もし、そのままに「備蓄している」とすればもう「被災に適する食品ではない」。テレビでそんな話題を見ながら妻と顔を見合わせて苦笑である。
 天才は忘れた時にやってくる。
 疑うこともなく長年信じていたこのフレーズ。天才は天災であることに気付いたのは何歳だっただろうか。「真剣に備えてないといけないな」と、毎年この日だけは考える。

 昨日の新聞記事から写真版を掲載しました。自らは無頓着な爺がこんなことすることを昔流の日本語で「お節介」と言うのでしょうかねぇ~。我が家は不合格です!!皆さんの状況も教えて下さい。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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