~1週間後の出発時刻と・・・~
昨夜の妻の問いかけを苦笑しながら思い出している午前4時。
3時40分が体内時計の「起床時刻」である。目覚まし時計は殆ど使用しないのが日常。3時に起きる予定になった場合のみ外注する(笑)。つまり時計に時刻設定のアラームを利用することにしているのは非日常。昨夜の時点では「完璧なまでの思い込み」で、アラームを必要とする意識であった。アラームの音が鳴ったので、「そうか!今日は遠出だった」とばかりに老夫婦は無言のままに勝手な動きに入った。早朝の半身浴時間も日常より1時間早めであったが、疑うことも無く夫婦は黙々と早朝の出立準備である。退職後のリズムは時として非日常的な動きになることも慣れてしまっているので日常的な動きにはそれぞれが気にもかけない状況であった。
来週の神奈川県藤沢市への出講のための出発時刻と勘違いしていたことに気づいたのは4時の朝食を終えて荷物の確認に取り掛かった時である。浜松駅に12時半に到着する新幹線なら東京駅を11時ごろだよなぁ・・・、と独り言を言いながら時刻を逆算すると誤差の大きさに気づいてしまった(笑)。
近距離の普通電車利用での移動が、新幹線を利用した時よりも所要時間が長いのである。つまり、神奈川県藤沢市に向かう普通電車利用の時間設定より名古屋駅直行の「ひかり号」利用の方が短い時間で目的地に到着できるのだ。そんな日常的な旅のプラン作りの基本的な着想が、老脳を攪乱してしまったようである。
笑って誤魔化す!!
そんな夫の腹の中を見据えたかのような老妻の一言。「逆でなくて良かったじゃないですか!!」と悠然として録画しているらしいTV番組を見始めた。ご指摘の通り(笑)、逆だったらパニックを起こしてしまうだろう。間違ってしまったお蔭で(笑)、このブログも書き終えてからでも十分余る時間となっている。こうした失敗談をブログにすると反響が必ずある。それは異口同音に「ホッとします」と書かれているではないか。講演活動と言う「偉そうにモノを言う??」活動を主にしている小生は、失敗などすることなく立派に生きている人間として映っているらしい(?)。怖いことだ!
自粛しつつ、何度となく自省しても生まれつきの能天気は変わる由も無し。
そんな能天気者は余った時間を利して、読みかけのミステリー小説でも読みながら束の間の転寝を満喫することにしましょう。おやすみなさい・・・、そして、時間が来たら「行ってまいります!」。浜松『響の会』に参集される先生方との久しぶりの再会を楽しみにして出かけます。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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