2011/11/06

閑かに小雨の降る午後・・・。

 ~少し雨脚が強くなったような気がします~
 昨夜は関係者の配慮で予定していた時間より1時間早い新幹線「ひかり号」で浜松駅を発つことが出来ましたが、道程の距離は縮みませんから所要時間を同じです。しかし、夜の1時間の貴重さを痛感しつつ我儘を聞き入れていただいたことに感謝しながら車中の時間を過ごしました。
 缶ビールを買うのは一種の病気(笑)?
 おつまみに購入するのは気分次第で一定したモノはありません。小さなビニール袋を片手にして行列の後ろに並びました。夕刻の6時ですから浜松駅を発つには丁度良い時間帯でしょうか。新幹線を待つお客様の列はいつもとは違いました。1時間に1本の「浜松駅停車・ひかり号」ですから首都圏への戻り客には決しての無理のない時間帯と考えれば乗客も多いに決まっているのでしょう。それにしても背中にあるリュックの重さが肩から首にかけてずしっと食い込んでくる感じが強くなりました。自分との闘いに数分間堪えたらひかり号が到着してくれました。車内はガラガラでした。二人掛けのシートを選んで腰かけて荷物を置き直して腰を引いてゆったりしたことは記憶していながらも新横浜駅を新幹線が出る時刻まで眠り込んでしまったようです。「次は品川です」のアナウンスにビックリして目が覚めました。それはずっと昔に眠ったまま品川駅まで行ってしまったという苦い経験があったからです。当時は茅ヶ崎市に住んでいたので、新横浜駅下車で在来線に乗り換える行程だったからです。誰も知らない筈なのに独りだけで全身に暑さを感じてしまい苦笑している自分に苦笑してしまいました。
 東京駅は眠らない駅です。
 新幹線から山手線に乗り換えるのに構内を歩きながら「どこからこんなに多くの人が来ているんだろう」と、良く自問自答するのですが、結論は常に自らに返ってくるのです。「そういうキミも周囲の人から見れば・・・」ですよね(笑)。
 上野駅は東京駅とを、ちと違います。
 『東北』の地へ繋がる起点であることに違いがあるのでしょうか。構内のルックス(照明度)も少々暗いよな感じもします。でも、そこが何となく気に入っていることも事実です。地方に向かう「特急列車」の発車案内もそんな感情を掻き立てるのでしょうか。北海道へ直行する特急列車の後姿は東京駅では見ることが出来なくなってしまいました。40年前ごろは、九州出身の小生は何時間も前に乗車予定の特急列車の乗客が並ぶ行列に座って待ったものでした。故郷への郷愁の思いで何時間でも待てたのでしょう。今は、新幹線の普及で東京駅は様変わりです。
 昨夜も、上野駅では特急列車に乗車せず普通電車の「常磐線・勝田」駅行きに乗りました。下車駅までの所要時間は1時間半です。特急列車に乗車しても土浦駅で下車して在来線に乗り換えなければなりません。接続が不備な場合は25分間も駅のホームで待つことになります。従って普通電車で行ってもあまり変わらないのです。そんな生活環境部分でも、当地の生活に「慣れてきた」と言うことでしょう。
 途中から車窓に雨がぶつかる音も聞こえ始めました。
 旅慣れしている人の条件に、「傘の常備」があるそうです。小生も自他ともに認める旅慣れした旅人認めているのです。座席の横においてあるリュックから常備しているはずの傘を取り出そうとしてハッとしました。玄関先の定位置にぶら下げたままに出発してしまった光景が浮かんできたからなのです。出発時点で「リュックに入れれば・・・」と自意識はあったのモノの、現実にはリュックに傘が存在しないのです。出発時間を勘違いした症状(前回のブログ)の副作用が顕在でした。時間がありすぎたので「後で・・」の癖が出てしまったのを今更悔やんでも仕方がない状況下に押し込まれました。皮肉なことに取手駅構内で停車している電車の窓には叩きつけるような雨脚ではありませんか!!取手駅から下車駅まではまだ45分はあります。このままの雨脚が東に移動する時間に到着です。前途多難!
 この旅人は「晴れ男」と言われることが多いのです。しかし、昨夜は一縷の期待も持てない状況でした。しかし、しかし・・・ですよ。なんと下車駅では傘をさしている人はいらっしゃるのですが、差さないで歩いている人もいらっしゃるではありませんか。ほくそ笑んで改札口を出たことは間違いありません。傘も要らずに帰宅しました。妻は玄関先にぶら下がったままの傘に気づいていません。従って、電車内の心理状態の報告も解説も無用だったのです。ゆっくりと入浴を済ませてそそくさに布団に潜り込みました。即刻の深い眠りに陥ったことは間違いありません。
 眠ってしまえば過去の話は小生の人生には不似合なのです(笑)。
 そんな昨日の風景を思い出したのは午睡の直前でした。そして孫の襲来に目を覚まして、雨脚の強くなった庭先の栗林を見ながら2日間の『旅』を思い出しています。皆さん、ありがとう!!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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