2011/11/07

万艱こもごも到る

 ~29回の積み重ねに・・・~
 さまざまな感情が次から次へと湧き起こる、という意味らしい。
 「万感胸に迫る」の表現が分かり易いのだろうが敢えて挙げてみた表現である。この実感を味わったのが5日(土)の浜松『響の会』周期セミナーでの代表役を押し付けている鶴見氏の開会の言葉が耳に届いた瞬間からだった。迫ってきた万感に押されてしまったのか、実践発表者の写真も取り損なってしまって猛省である。
 「加齢の証」をいくつも体験する年齢になっているが、「走馬灯の巡るが如く・・・」との比喩を使うようになってしまっていることもその証の一つである。この浜松市でのセミナーを開始させたのは当時の1つの小学校の先生たちであった。発信としである神奈川県茅ケ崎市は当然ながら、東京都立川市や広島県広島市にも『響の会』は開設され管理職の先生方の肝いりで定期的に実践されている。校長・教頭というトップリーダーの声掛かりがあると一般教員も刺激を求めて参加するのが「教員の自主研修会」である。自主研修であれば会費は付き物である。当然ながら主宰する『響の会』も受付で参加費を払って会場に入ることになる。
 茅ヶ崎で立ち上げた時点でも「参加費の額」では様々な考えを聞いたことを思い出している。「身銭を切って」、とは古い表現であるが、更に古い表現にすれば「木戸銭を払って」となるだろう。自らの修養する事まで「公費(=つまり税金)」を使うことに、身分保障とばかりに慣れてしまうことほど怖いものはない。つまり、主催者側の資金で運営され参加費無料と銘打って開催される研修会である。
 主宰者として推された時点で自らの考えを明らかにした。補助金をいただいたり、会場費を軽減して戴くことへの抵抗感が強かったのである。なぜならば、解説しようとする研修会の参加者は列記とした教育公務員であるからだ。公務員としての意識がややもすると公私混同に陥る。「なつやすみ」という学校文化でさえも教員も「なつやすみ」として定着しかかった恥ずべき時代に教員として生きていたからである。私的な会話で、「先生は良いですね、夏休みが長くて・・・」と挨拶代わりの言葉を掛けられとても嫌だった。考えてみれば現状に応じた社会通念だったのである。
 横道に逸れたが、この浜松のセミナーに集う「仲間たち」は、管理職のお墨付きも無く、全く自らの意志で参加費を毎回払って「学び」を求めて参集しているのである。正規の事務局もない。そんな状況下で参加費をやりくりしながら10年もの間継続して開催している関係者の苦労を察すると胸が熱くなったのである。様々な光景も浮かんでは消えた。走り出した頃の「向こう見ず」の運営ぶりも今となっては懐かしい思い出となって走馬灯を駆け巡るのである。鶴見・幸村両氏の姿勢には頭が上がりません。いつも受付をやり続けている美和さんにも感謝の言葉を探すほどである。
 「次回は30回目を迎えます」との代表の言葉は、帰宅後のメールで「記念すべき会」にしたいのでより一層のご指導をお願いします」、との内容で締めくくられている。日程の候補日も挙げていただきました。最優先です!ご希望の日時を選んでください、と返信しておきました。
 参加され聴講された方々に十分な講義ができたかどうか?自省をしている朝です。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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