2011/11/29

歩禅記(53)


 ~こんな夕暮れの『筑波山』が視野に・・~

 最初にお断りしておきますが、この写真は本日の撮影ではありません。数日前のスナップです。この日の気温が今日よりも低かったように思います。今日は、「暑くもなく寒くもなく」との気象予報官の言葉をそのままお借りして表現しても、「仰る通り」の天候でした。昨夜の予報では今日は「所によっては雨」と言うことでしたので、出勤する嫁は洗濯物を干さずにいたようですが、陽射しを見て妻がベランダに干したほどです。

 こんな夕暮れを、風も冷たくない状態で田んぼのど真ん中を歩けることは正に至福の時間であります。筑波山は富士山と違って「至近距離で」声を掛けると返答してくれそうな親近感があり心和む思いになり良き歩禅の友となりつつあります。

 明日から、今年(2011年)最後の、長期の出講です。この講演活動(と周囲は表現しています)を始めた7年前には5~6泊、つまり1週間の滞在での講演を行ったものでした。しかし、いかに若いとは言え既にその時点でも『還暦』は過ぎていましたので、意識と身体のアンバランスでほぼ1カ月ほど休養せざるを得ないどん底の生活に陥りました。身体が覚えていくと「無理の限界」が少しずつではありますがわかって来るようです。今では、最長でも3泊が限界であることもわかってきました。

 4日間の旅の荷物づくりも大変です。冬物の量は宅配便の箱選びから苦労します(苦労するのは誰??)。苦労するのは妻です(笑)。その協力を得て歩禅に出かける前に宿泊ホテルに発送することもできました。妻の協力に感謝することは忘れてはいません。

 この風景は、独り歩禅のコースの丁度中間点です。折り返すのはもう少し歩を進めてから大通りに出たところです。大通りには妻が必ず立ち寄るこの地の農協直営のお店です。新鮮な野菜を買い求めるために夫婦ともリュックサックを背負って歩禅に出向くことも多くなりました。大根や白菜等を少し多めに購入する時は、愛車・湘南ナンバー軽自動車で駆け付けます。リュックで賄いきれる時は二人で分担して背負って帰るのです。

 ところで、読者の皆さんに申し上げるのはお門違いですが、小生の今の心境は、放射能汚染の問題が早く解決してもらえないだろうか、ということです。当地は代表的な農業県だそうです。地元民の焦燥感は言うに言えぬモノなのでしょう。このコースの脇に、「稲藁の保管倉庫」があります。機械でしっかり結ばれて出荷を待つ藁にまで汚染の影響があるようです。何だか哀しくなりますね。立ち話をする農家の方々の口々から「風評」の話題が、やっぱり、この地でさえ飛び出すのです。苦渋の言葉のように聞こえて胸もいたくなります。 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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