~相撲のテレビ観戦で学ぶ~
「協議の結果、“取り直し”と決定しました。」
相撲の世界では軍配は勝敗を決する合図の一つであるが、微妙な展開になったら審判の判断を仰ぐのがこの業界の掟であるようだ。6日目の土俵でその現場に遭遇した。幼い頃、「もうすぐお正月」という感傷を運んでくれたのが大相撲の地方巡業(興行)であった。師走の風が冷たくなった空気の中で裸の力士が汗だくになって取り組む姿は少年時代の年末の風物詩だった。九州場所が終わると九州管内での巡業でファンを喜ばせてくれたのである。その思い出が今でも相撲ファンとしてのテレビ観戦の引導となっているようだ。
観戦を楽しみながらも、長い間、腑に落ちない部分があった。
それは、審判を仰がれた4人の審判員を代表しての審判長の説明である。スポーツ選手は、「無口で喋り下手で」は大目に見られ、それも魅力の一つのポイントとしても価値があるようだ。それには異存は無い。しかし、言わなくても良い言葉を連ね過ぎて肝心なピントがボケてしまう審判長の説明には、業界としての「企業努力」を要望したいほどだった。ところが昨日のその場面で、視聴者がすっきりするような説明がなされたのは貴乃花審判部長の上記(青い文字の部分)の、僅かこれだけの文章(説明)であった。マイクを預かり、ただこれだけで責務を果たして「取り直し」への興奮を観客に繋ぐべく最上の手法である。
余計なことを言うな!
先人や先輩からも良く注意された。最近では「説明義務」(アカウンタビリティ)とやらが横行(笑)していて、長々と理由から経過まで説明することを「良し」とする風潮になってしまっている。教育界に身を投じていた日々にも、この「大義名分」に振り回され無駄なエネルギーを遣った苦い思い出が蘇ってくる。相撲の激戦は終わった。どちらかが勝ったら相手が負けである。行司さんは土俵の上で懸命な即決を余儀なくされる。軍配には「取り直し」の上げ方はないようだ。とすれば東か西に向かって「勝者」を指示さざるを得まい。業界では間違った軍配は「差し違え」と言うそうだ。差し違えの少ない行司が出世することは否定できまい。しかし、土俵の上の力士も懸命だが行司さんたちも必死である。その極致の世界で判定を覆せるのが審判員の元・力士さん達である。感情論や人情論を、この場で移入した説明は無用ではないか。力士だけでなく行司にも失礼ではないか。
ただ今の勝負についてご説明申し上げます。行事軍配は〇〇の勝利とみて東(西)方に上がりましたが、〇〇審判から●●の方が先に土俵を割っているので・・・・・・と物言いがつきました。協議しました結果、軍配通りに〇〇の勝ちと決しました・・・・
この類が慣例のセリフである。
貴乃花審判部長の説明を初めて聞いた時、業界の企業努力に敬意を抱いた。しかし、その後何度か他の審判長の説明を聞くたびにその事実を否定せざるを得なかった。つまり、これは人間個々が持ち合わせる「哲学の会得」姿勢の問題だ、との結論に達したのである。結論を性急に出せと言うのではない。わかりきっていることや言及の必要性のない点までだらだらと前置きするな、と言うことである。何を言いたいのかがはっきりしないままに「説明義務」を果たしていると思い込んでいるような政治家を見るにつけ、貴乃花親方の「審判結果」発表のような最短時間で要点のみを述べる手法を磨いて欲しいと願うばかりである。
校長職時代に、職員会議と言う仰々しい場面で「何を言いたいかわからん」とぼやきながら忍の一字に徹した苦渋の時間が彷彿としてきた。決め手のポイントを押さえる学習はどうすれば会得できるのだろうか。同業者には厳しい老輩は、授業での「無駄話」に興じる教員各位にそのまま結論を熟考することを委ねておきたい。今朝のボヤキはこの程度にしてペンを置くことにしよう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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