~歩禅の道で撮った「花」~
名前がわかりません。
かなり丈の高い花ですが、花の大きさにも驚きつつその数の多さには、夫婦で立ち止まってしまいました。何と言う花なんでしょうか?生まれてこの方、「花(華)のある人生」を歩んでいない小生は、とんと花とのご縁も無く興味も深くないので知らない花の「素敵な存在」に気づき始めたのが昨今のことです。こうしてデジカメの餌食にしながらも解明もしていないのが現状でもあります。
今日で11月も終わり、明日から師走。
そんな朝、旅支度も済んでデジカメ写真館を覗きながら11月の道路で見つけたこの写真(花)の名前が気になってしまいました。以前、酔芙蓉の花を上掲してくだらない人生観を記述しました。それは青春の淡い恋心にも似たような表現になってしまったのでしょうか。読者の方から「詳細を・・」との要望メールをいただいてドキッとしてしまいました(笑)。深意はございません。読者の皆さんにも、草木や花にはそれぞれの思い出とドラマがおありだと想像しています。
ここは、自然が多分に残っている新天地です。
そろそろ、県外までの仕事に終止符を打つ時期になるでしょう。そんな時期に、こうした自然美を満喫できる環境に生活母体をおけることはこの上ない幸せなことです。見渡す限りの田畑の緑は、転居したばかりの今年は「目の保養」までには至りませんでした。しかし、来季はきっと嬉々として、その緑の中で『歩禅』の距離を延ばすことになることを確信しています。
今日から、今年最後の大掛かりな仕事で出講します。準備段階でも「もう、良いや」との投げやりな精神状態にならない現状に安堵しつつ、内面での「盛り上がり」を嬉しく思える朝です。行ってまいります!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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