~出版に関わった人のトークの魅力~
取り分け、本の装丁に関わったデザイナーの発言はいつ聞いても面白い。
今回は親しくお付き合いさせていただいている長野県小布施町で出版業を営む知人の会社で出版された書籍の披露記念パーティーも兼ねた「セミナー」に出席した。8年前からのお付き合いだが、個人で開業した小さな「町の出版社」が、大東京のど真ん中でこのような立派な集いを開催できるまでに成長された光景には妙に感動してしまった。
当の出版本に関しては、「関心度」は低かったが、東京に進出し始めた彼の偉業に敬意を表して参加費を添えて申し込んだのである。
装丁デザイナーの弁がとても印象的だった。
聴くに値する人生哲学を受け止められ、心地よい夜風に吹かれて帰途に着いた時点で思わず呟いてしまった。「来てよかった」、と。またそんな風に思えたのも嬉しかった。プロとは?の会場からの質問に対して、装丁師の答えが心を揺さぶった。「プロとは、次の仕事がくること」だそうだ。しっかり、仕事をしないと発注者は満足しないし喜ばない。仕事とは相手を喜ばせることであり、喜んでもらえない仕事は単なる作業である、と。喜んでもらえれば「次の仕事の注文が来る」と言うのである。
書籍の表題だけでは「読書欲も購入欲」も湧かないが、こうして関係者が集い、「仕事をした」実績を本音で表現する時間を共有するとちょっと観点も変わってきたように思えた。
帰路の常磐線の中で、改めて話題の本を読み返した。
3時間のセミナーの濃度が測れたような気分になった。先入観と思い違いで読後感との温度差も痛感しながら凡庸な老脳の持ち主として恥じ入ってしまった。しかし、素敵な数時間を過ごせた余韻は帰宅するまで消え失せはしなかった。そのことだけでもホッとした。
直帰してこのセミナーの感想を興奮気味に語る老人もまんざら捨てたもんじゃないと苦笑した。不思議に思ったのは、興奮していたにもかかわらずいつも以上に眠りに落ちるのが早かったことである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿