~見渡す限りの田園地帯~
下の孫だけが家に居るので妻を同伴しての歩禅は不可能であった。
農協直営店での「里芋」購入を依頼され、歩禅のコースを設定して独り歩禅に出かけた。茅ヶ崎市に住んでいる時もそうであったが、車の往来が激しい道路は歩き辛いので避けてコースを選んだものだった。当地に転居しても同じではあるが、コース選択の煩わしさは殆ど無い。数分もかからずに『田園地帯』に到着できるからである。大好きなスポットである。
稲刈りも済んで今や、見渡す限り「休耕田」状態である。1ヶ月前ぐらいまでは籾殻を焼く煙も棚引く風景も見られた。農作業の終盤の光景には精神の落ち着きどころがあって大好きである。叔父や母が田んぼで仕事をしていたあの光景とオーバーラップしてくるところに郷愁もあって好きなのかもしれない。そして、最も好きな要因は農作業をしておられる農家の方たちが散歩人にも声がかかるところである。
昨日の夕暮れ歩禅でも、肥料をまいておられた高齢の農家の方から、「寒くなったね」と気安く声を掛けられた。戸惑うことも無く「風が冷たいですね」と返答をすることができた。気温も下がり北風が冷たくなっている田園のど真ん中であっても「心の通う」対話が出来ると心内から温かくなって寒さを暫し忘れ足取りも軽やかになるものである。
直営店はこの田園コースの中にある。
妻の要望である「里芋」を2袋購入した。支払金額は200円也。高い方を買おうとした小生に農家のご夫人らしい店当番の方に、「キズあり」商品を勧められ「味は同じですよ」のお墨付きをいただいて意気揚々と帰路に着いた。妻の喜ぶ顔がチラついたので速度の早まる歩禅の帰路となった。
この田園地帯からは、夕暮れに筑波山が見えるのであるが昨日は見えなかった。茅ヶ崎では富士山であったがここでは筑波山である。農作業の天気予報になる「山々」の存在を少年時代の思い出と一緒に思い出す。少年時代は、縁側から見えたのは雲仙・普賢岳であった。
そんな懐古を楽しめるのも広い田園風景のお蔭である。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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