正式な日付で言えば29年前の「昨日=11月9日」の出来事です。
英語の教員を務めながら、「海外研修」(留学も含めて)を経験していないのは肩身の狭い心情は常に脳裏を掠めていました。夏季休業を利用して学校長の許可を得て市教委の承認を受けて短期であっても海外に語学研修に参加する同僚(英語教員)を横目に見ながら、妻にも言えず悶々としていたことも事実です。3人の子供を育てる専業主婦の妻の苦労ぶりを知っているからこそ言い出すことはとてもできないまま教員生活を続けていた小生でした。そんな時期に、大きな転機となる研修機会が飛び込んで来たのです。文部省(当時)主催の中央研修を受講することになりました。2年前の2月のハプニングでした。当時、中学3年生を担任していました。入学試験と卒業の直前でしたので、そんな時期に担任が不在になったら学級の生徒たちの不安も大きいだろうから、と小生は校長先生に拒否の回答をしました。怒ったことのない校長先生から罵声を発せられ啞然として校長室を出たのを、本当に昨日のように思い出しています。詳細は省略しますが、その研修の延長線上に「海外研修」が待っていたのです。
1か月間の長期研修旅行。
「渉外」という通訳の仕事でした。最初の訪問国はブルガリアでした。日本語~英語~ブルガリア語~英語~日本語と数往復をしているうちに内容に大きなズレが生じているのに気づきました。真冬のブルガリアは雪景色でした。しかし、寒いこともすっかり忘れて背中は汗びっしょりでした。そんな体験を皮切りにロングランを終えて帰国しました。失敗だらけの研修でしたが、その後の教壇生活には大きな大きな変化が生まれました。帰国報告をするために市教委・教育長室へ伺いました。「公的なお金を掛けて海外研修に派遣したのですから、今後はその恩返しのために頑張ってくださいよ」との教育長のお言葉はその後の教員人生の支柱になっていました。
そんな大きな人生の転換期となった思い出の日が「11月9日」なのです。
あれから約30年の歳月が流れました。公費(=税金)を掛けていただいた御恩を「立派にお返し」することも少なく齢を重ねるだけとなってしまいました。せめて、後進の「同業者=教員」に対しては、『恩送り』の真似事でもしなければ、と心新たにしている朝です。
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