~全く分からないままに運転~
茨城県下の地震発生は、二人の孫を車に乗せてショッピングモールに向かっていた時刻だったようです。
息子は休日勤務で出勤して、読めは長男孫を連れて「地域子供会」の廃品回収の手伝いに出かけました。祖父母の下に二人の孫が置き去り(笑)になってしまいました。妻は、友人宅にお礼の品物を送りたいとの予定があるらしく、郊外にある大型スーパーに行きたいとの要望があったので孫も乗せて出発したのです。
緊急地震速報の異常な音は、転居後もイヤと言うほど耳に届いていました。異様な緊張感と恐怖心を煽るような音でもありましたが、「無いよりまし」な通報音であることも実感していました。いつの間にか聞くことも無く忘れかけていました。と言うより、今回はラジオをつけていないでの運転中でしたので着信もできなかったようでした。モールに着いて直ぐに妻の携帯電話が鳴りました。横浜に住む次女からのコールでした。「えっ、感じなかった」との妻の返答を耳にしながらも緊急事態を予想だにしなかったのですが、その後、小生の携帯電話にも立て続けにコールが入り、「大丈夫ですか?」の連呼に事の大きさを感じたのです。
ただ、ショッピングセンター全体にも異常な緊張感などの光景も感じなかったので鈍感になってしまったようです。帰宅してテレビを観て日立市(茨城県北部)を中心とした震度5強の地震が発生した様子を確認して、その時点での行動を振り返りながらゾッとしてしまいました。
全く関知しないままに運転していることの怖さを知りました。運転中のラジオ視聴は、ひょっとすると命綱なのかも知れないと痛感した時間にもなりました。
ご心配戴いた皆さん、ありがとうございました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿