~4歳違いの兄は得意教科が「地理」でした~
劣等感で過ごした兄の後塵はやはり「先の見えない」人生でございました(笑)。
地図帳と電車時刻表を「人生の友」としていると豪語していた次兄の話はとても楽しかった。しかし、何か訊かれると一気に奈落の底に突き落とされた瞬間を今日は思い出してしまった。今日は、当方のHPのスケジュールに挿入する時間も無く、県内からの訪問要請に応じた学校訪問でした。
今日の行程は、「すべて自分で」が誇りなのです。
自宅から学校のある都市まで、車で2時間弱だと先住者の長男から指導を受けていました。12時半までに来校するようにとの依頼に応じて10時40分に自宅を車で出発しました。実は、この行程は妻と一緒に下見をしていたのですがあの日から、随分時間を経ているので車内には「地図帳」を持参しました。
信号が「赤」になる度に地図帳と首ったけの走行でありました。「地図を見る」楽しみは子供の頃から全く無い小生は「方向音痴」でも有名なのです。出発しようとしている夫を見送る妻は、「だいじょうぶ?」との声を掛けたのです。今更、不安だとは応えられない。そんな心配を乗せて出発しましたがノーミス(笑)で目的地に到着できたのです。地図を読解する力は無いのですが読解できました(笑)。
そして、たまたま、参観したのが4年生の社会科の授業で「私たちの茨城県」という単元でした。
地図に興味のないまま成長して(笑)、高齢者になった小生にとって授業を見る観点は「苦手な子ども」の目線だったのです。「生い立ちは隠せないよ」と、帰路の独り車中では、得意だった次兄が話し相手となりました。
教員になった人類は、比較的に「優秀な学習成績」獲得者が多いような気がしないでもありません。苦労せずに「優秀だった」人種には、学びに縁遠い軍団の苦しさが分からないのではないかと案じたことも多くありました。そこに、授業を通しての「学びの支点」があるような気がしたからです。
他界した次兄の、異常なほどの(笑)「地図帳」への興味に、末弟の小生は劣等感を抱いた日々なのです。そんな光景を思い出しながら帰宅しました。Nと書いてあれば「北」と覚えた方向音痴も、無事に自宅に辿りつきました。「授業の成立」についての本質を考えさせられた半日でした。感謝。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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