2011/12/17

わが師走の風物詩(4)

~50歳を超えた卒業生との再会~
 7年前に「学年同窓会」が開かれました。神奈川県藤沢市で勤務した中学校の卒業生によるものでした。偶然にも小生の『還暦』を迎えた年でもありました。7学級あった大規模な中学校でした。小生は26歳の「子連れ」新採用教員でした。つまり、中学校の教員として初めて出会った中学生でした。高校教員から中学校へ異動になった時点でのカルチャーショックはそれなりのモノがあったような気がしましたが、結果的には「最初の教え子」と言う新鮮さが未熟な教員を育ててくれたようです。拡大の同窓会も醍醐味があるが、こじんまりと毎年「学級だけのミニ」の同窓会ができたら、との要望があったようです。肝いり役を引き受けた幹事さん達がその後毎年準備をしてくれているのです。
 数年前に「50歳の大台に乗りました」と、幹事の発声でミニ同窓会(学級だけ)が始まりました。
 近況報告で「お祖父ちゃん・お祖母ちゃん」になっているとの自己紹介に年齢差以上の接近感に驚きました。そんな集団から今年も開催通知が届きました。小生の転居を考慮して開始時刻を若干早めてくれる心遣いに動揺しました。昨年までと違い、今回は茨城県から東京を超えて藤沢市まで行かねばなりません。少々の躊躇があったことも事実です。乗り換えて移動する時間が約3時間かかるので終了時刻から逆算しても深夜に近くなること、と寒冷地(現住所)との絡みで考えてしまったのも事実です。
 ところが、昨日あたりから「再会への興奮」が老体に鞭でも打ったかのように「行く気十分」の若い頃の担任教員に戻ってしまいました(笑)。今朝もラジオが「この冬一番」の冷え込みと報じています。確かに足元が冷え込んでいます。しかし、出席することへの躊躇は全くありません。「病は気から」と言う諺を証明するかのようで苦笑してしまいます。
 そこで、8分間ほど足を延ばして、茅ヶ崎の旧宅まで行ってくることにしました。
 ミニ同窓会開始時刻には、茅ヶ崎から藤沢まで移動することにしてスケジュールを立てました。旧宅を放置したままなので、知り合いの工務店と打ち合わせをして旧宅の今後の処置方法の助言を戴くために午前中に訪問することにしました。
 今夜の同窓会の報告は明日以降にいたしましょう。寒さに向かって行ってまいります!!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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