~白菜の漬物は大好物~
近所の農家から一輪車いっぱいの「旬の野菜」をいただいたようだ。
母屋から嫁が何回かに分けて離れの台所に運んでくる。白菜・大根・ほうれん草等々、この地にある葉物野菜もあり、狭い台所いっぱいになるほどの量である。数週間前に同じ農家の方から白菜を戴いたらしい。食卓に上がった「お漬物」に食欲をそそられて美味しく食することが出来た。「美味いね!」と連発する夫に妻は応える。「歳取ったのよね」と。茅ヶ崎市に住んでいる時も野菜は良くいただいた。当然ながら白菜も貰っていたように記憶している。塩梅??という日本語の深意をくみ取れるのが漬け物のようだ。塩加減の難しさに妻は苦労したが、お世辞にも美味いとは言えなかった。
昔の村の様子が浮かぶ。大根漬けの味がその家によって異なると祖母が話したことを思いだす。それぞれの「漬け方」があるようだ。近所のおばあさんが漬けられた大根の漬物をいただいて家族中が「美味しい」と舌鼓を打ったことも浮かんできた。漬け物が得意でなかった母親は少々肩身が狭かったのではないかと、この歳になると優しく思い出すことが出来る。日本の食文化なのだろうか。この漬け物と言う食品が発する独特な匂いや食感は親しい外国人の友人には敬遠される。
引っ越した住まいが、畑の隣に位置する。
孫の友人のお祖母ちゃんも野菜を運んでくださる。有難く旬を戴ける幸せに、妻の「白菜漬け」が彩りを添えてくれる。どうしたんだろうか??白菜の漬物が実に美味になっているではないか。褒めれば褒める程「歳とったのよね!」と複雑な返答が繰り返され、褒めるのも躊躇してしまう(笑)。
どうしてなんだろう?「漬け物上手」と「若い奥様」との互換性がない?
妻の加齢を諸手を挙げて喜んでいることは無いが、漬け物が急に上手くなった妻の器量はやっぱり加齢の為せる技なのだろうか?この相関関係は何とも言えない。しかし、大好きな「白菜」の美味しい漬け物が食べられるようになったことを至福に感じつつ感謝することにしましょう!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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