2011/12/21

新聞記事を読んで・・・。



~常識はずれ?~
 そもそも「常識」を規定するための基準は何だろうか?記事の主人公は、誰が名づけたのか「市民ランナー」と言うらしい。市民ランナーと他のランナーはどこが違うのか?特称されるのだから、ランナーを規定するうえでは根拠になるのが「企業・会社」の組織に属し、専門のコーチや監督の指導を受けていることになるのだろうか。高校や大学で有名になったランナーは誘われたり望んだりして有能なコーチが在職している会社の職員として身分や生活も保障されながらその社名(=社命)を掛けて(=賭けて)、時としては自らの考えや展望を押し殺して練習と言う名の下で組織人と化すアスリートのことなのか。
 施設や設備を必要とする競技では個人負担では対応できないだろうが、何の投資も要らないマラソンランナーにとっては論外として選手が誕生しても良いと思い続けていた小生には、この記事のランナーには心底からエールを送っている。先だっての福岡国際マラソンでの終盤での悲壮な顔つきでのラストスパーの画面を追いながら解説者が「今までのマラソンの常識を覆した力走」という表現を何回も発した。思わず首を傾げてしまった。
 常識とは何だろう。35キロ地点からのラストスパートが常識外れと言われながらも、この選手は形相を変えて走り続けた。しかし、「限界かな」と応援者の心臓までバクバクさせながらも最後まで走り抜けてしまった。敗者となった大学ランナーとしても著名だった二人のランナーはそのスパートに追随できぬまま涙のゴールであった。決してこのランナーの走法にケチをつけているわけでもなければ、コーチの能力を訝っているわけでもない。
 常識はずれ?
 小生の学校経営にもこの言葉を多く浴びせられた。その度に「何を基準にして小生の学校経営手法が常識はずれなのか」と自問自答したものだった。こんなちっちゃな新聞記事からも『考えさせられる』人生勉強することも、常識はずれかな?こんな考え方で自己研鑽することが常識はずれを誕生させるのでは??
 有名人(基準は知らない)が結婚する。お相手は「一般人」と表現される。どうやらこの「一般」は「一般市民」という意味らしい。市民というのは「普通の人」の意味らしい。このランナーは、確かに普通の「学校事務」に携わる公務員である。普通の人が予想外の記録や勝利を勝ち取ると「異常者」になるのかな。つまり常識はずれとは、異常と評されるほど立派な業績を築き上げた褒め言葉のようである。こんな小さな記事から、自らを奮い起こしてくれるような結論に達することができるのである。この市民ランナーの常識はずれに大いに期待したい師走の早朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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