2011/12/23

寒波の中にホットなメール



 ~ ラストランに栄光あれ~
 この校長先生の、転勤後のどん底状態からの懸命な立ち直り方には脱帽した。


 勤務先の現場を覗いたわけでもないので当事者からの実情報告でしか判断は出来なかった。嘘をつくような性格ではないと直感できたので丸ごと受け入れることしか出来なかった。酷い症状を呈している学校現場を多く知っている。どのパターンに属するかも類別できた。しかし、現場を知らないと打開策を講じる(細やかでもアドバイスする)のにお先真っ暗であった。
 嘘のない実直なこのタイプの教育者は多い。逆に、信じられないほどの腹黒さと利己的な人間も多いのはどんな業界でも同じだろう。しかし、こと『学校』という一種独特なムードを醸し出す教育界には、私利私欲と出世欲とを「併せ着」(重ね着)しているような人種と出くわすと幻滅感で打ちのめされそうになる。悔しいかな、そんな現実と遭遇した経験値が老脳の中にも生きていた。この校長先生にはその観点からのアドバイスが出来たのではなかろうか。
 リーダー論が盛んに交わされる時代となった。
 小生が気になるのは「リーダーとしての資質」に言及されることである。資質の有無を論じられて満足に応えられる資質を有する人物など皆無に等しいと考えるからである。リーダーに「指導性」だけが要求されるとなるとその論議は不毛なモノになってしまう。なぜならば、本物のリーダーには、指導性だけではなくトータル的に見ても「寛容な人間性」が支柱にあると、小生は考えているからである。寛容性は、排他的ではないことが主要素になっていると考えられる。つまり、他者を受け入れ、認知して評価できる素養が期待されなければなるまい。
 追究するに、逆にリーダーをサポートする人材(複数が望ましい)の存在とその力量が「良いリーダーを育てる」要素になるということである。つまり、陰になり日向になりリーダーというポジションにある人材を支えるパワーの威力がとても重要になると考えているのである。この校長先生にはその「裏方さん」達の存在と威力が顕在したということである。それが、誰であるかは本人のみぞ知ることである。認識している証は「感謝です」と言う表現である。
 感謝すべき人材は校務にも存在していることは氏の学校のホームページ(今回のメール交信のきっかけともなった)のブログにも随所に観られている。この栄光の支柱であったと嬉しく思えるばかりである。退職する日を指折り数えて大過なく過ごそうという愚策は氏にはない。残された最後の時間も今までと同様に全力で走り抜けることを期待している。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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