~カレンダーと手帳~
人生僅か70年足らず。
カレンダーと手帳を意識したのは何歳ぐらいだったでしょうね。読者の皆さんはどうですか?教員と言う稼業では4月から『年間計画』に従って全てが回転しました。その運営方法や手法についての考えを述べるのはこの場では無理ですので省きますが、「計画する」という理念とカレンダーと手帳は密接な関係があるような気がします。「カレンダー通り」という慣用的表現を押し付けられた現役時代も懐かしく思い出します。この観点から判断すると、カレンダーは共有・共用の代物ですね。
一方、手帳となるとプライバシーな内容が記述される代物だと考えても異論はないでしょう。皆さんの手帳の購入歴はいかがでしょうか?教員時代には「教務手帳」という硬い手帳がありました。児童生徒の個人情報が満載される異状な手帳です。紛失してしまったら大変なことになってしまいます。現在では、電子手帳なるパソコンを能力を持ち運びできる手帳もあるようですから保管の問題が、従来の手帳の世界とは比較にならないほどに重要になりますね。先生方は十分にお気を付け願いたいですね。
そんな歴史を紐解くだけでも、カレンダーと手帳の変遷ぶりは計り知れません。
ただ、どんな活用方法を考えようと、カレンダーと手帳の入手時期は大きくは変動していません。つまり、師走のこの時期になると今でも、文房具店や書店の店頭には夥しい数量の逸品がお目見えします。心機一転??そのためにもカレンダーや手帳の威力を借りる発想も有り得ることが認知していただけることでしょう。
小生は、現役を退いてから『手作り』の手帳とカレンダーを作り始めました。
それでも、この8年間で大きな変動も確認できます。その変遷に人生の変容を感じ取れます。皆さんの情報も教えてください。
知人が経営する会社から今年もカレンダーが届き始めました。そこにも会社独特のプライバシーが覗けて楽しみです。ところで、以前に比べるとカレンダー配布も分量が激減していませんか?商店街の小さなお店でもこの時期に買い物するとレジでカレンダーがもらえましたよね。ところが、今?
身勝手な心情の変化をカレンダーと手帳からも覗えます。「こんなに沢山カレンダーを貰ってどうするんだよ」と嘯いたわが人生の傲慢さを痛感する、2011年の『師走の朝』でございます(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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