~年寄りに必要な「教養」と「教育」・・~
午前4時半の小さな「離れ」小屋から老夫婦の笑い声。
認知症の相棒のとんでもない言動に介護者が思わず大声で笑う。その声に誘われて当事者まで笑い出す(認知症の親を介護したが大声で本人が笑ったことは無かったが・・・)。そんな状況にでもなったのかと、読者の皆さんはご想像なさることでしょう。
ところが(笑)、まだ我が老夫婦にはどちらにもその症状はありません。自身が認知症を認知しないのがその症状の始まりでしょうから、この断言も弱いモノなのかもしれませね。今朝の話題はその観点に拘るものでもありません。
ラジオから流れた千葉大の元教授の発言が早朝の老夫婦の大笑いを招いてくれました。
氏の提唱される『楽老人生のススメ』の、老いを楽しむための最大要素は「教養と教育」と断言されたからです。わが耳を欹てながら夫婦の視線がぶつかった直後の解釈で判明しました。老人になって人生を楽しむ(氏の「楽老」)ための基本条件として、①「今日は用(する事)がある」②「今日は行く所がある」かどうか、の2点を考えているとの説明が続いたのです。「きょう・よう」「きょう・いく」との語呂合わせに思わず納得して(笑)吹きだしてしまったのです。
夫「それなら大丈夫だよ」と言えば妻「私だって大丈夫ですよ」と言い合って大声になる笑い声を産んだという訳です。行く所が無い!する事もない!!となるのも時間の問題だよ、と発した夫の言葉が更に納得した妻の笑い声になって狭い部屋中に木霊してしまいました。
時刻は未だ午前5時前でした。
母屋の嫁が起床するまでの時刻までには時間もありました。そんな時間設定もあり大声が出てしまったことでしょう(笑)。笑い声が治まった小さな離れの、未だ開けていない雨戸の外からは雨の降る音が聞こえるほど静かになっています。きっと冷たい雨の一日になるのでしょうか。やっぱり湘南の雨の日と「寒さ」が違うような気がします、健康管理をしっかりして風邪などひかないようにしたいと心に呼びかけて、今日も「すること」がある老人ですので元気な一日を過ごそうとスタートしました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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