2011/12/08

これで、また『危険物』に・・・・。

~『肥後守』の運命も~
 やっぱり短命でした。
 埼玉県三郷市で少年が逮捕され持参物の中に「刃物」が大量に発見されたようである。昨日、臨時要請訪問のために訪れた小学校でも下校時に「緊急事態」との情報で集団下校にするとの慌ただしい動きがあった。千葉県に端を発した通り魔的な犯行が茨城県でも発生したらしい。模倣犯と表現されるらしいが、どうも心理(犯罪)が理解できない。
 先日の新聞記事(ブログ登載)で、地域ぐるみで取り組まれている協力者の落胆は大きいだろう。なぜならば、また「刃物持参禁止」らしき表現で子供たちから「危ないモノ」は遠ざけられてしまうからである。危ないこともその本質を体験しない限り痛みがわからない。苦痛を避けるために工夫と言う知恵が芽生えるのである。鉛筆削りに使った肥後守という折りたたみナイフは、時として竹を割って竹とんぼも作って遊ぶ工夫もした。出来上がったものを「商品」として購入する現代とは、「手作り」の工夫が温もりを子供たちに提供する過程から人間性形成の温度差が違う。
 故郷の九州でも冬は寒かった。
 5キロもある通学路を歩くと途中から背中に汗が出る。田圃で火をつけている農家の人が、汗をかいた子供に声を掛けてくれる。そして、汗を拭き取ってもらって暖を取ってから歩き出す。風邪をひかない知恵を教えてもらった。当時の子供にはその知恵はわからないが、大人になると身体の仕組みがわかり「生活の知恵(=予防)」に気づくのである。時として、焼きあがった芋を掌に載せてもらって「熱い!」を連呼しながら、何故か小走りになって、あっという間に登校した。「急いで学校へ行け!」などと言われなくても走って登校したのである。大人の立派な知恵であった。
 ナイフも火も、間違えは危険物である。
 危険だから子供を火から遠ざけ、理科の実験でもマッチが擦れない子供を産み出す。仏壇の蝋燭も文明の利器でスイッチオンで点火できる。利便性が追究され素晴らしい利器が生み出されることには異存は無いが、次世代~次々世代へと脈打つ「人類の生命連鎖」を考えると気が重くなる。
 時は、また「悪の連鎖反応」に振り回される。
 それに振り回されおののく現代生活が、またその中から何かを喪失してしまう!心痛する朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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