~神奈川県横須賀市から広島市まで移動~
30日から始まった今年最後の業務を終えました。
新幹線の駅で表現すれば、新横浜駅から広島駅の間を移動する日程でした。のぞみ号を使うと二つの駅は4時間で結ばれます。新幹線も開業当時に比べれば長足の進歩を呈し、かなりの速度に達しているようですが、乗客にとってはやはり静座する時間としては、「軽い拷問」(笑)になります。そこで、今回は名古屋駅で途中下車をすることを思いつきました。宿泊して翌日の広島への移動は半分の時間ですので決して拷問にはなりません。
広島での日程は二つ目(30日に続いて)の研究会での講演が入っていました。
横須賀市の小学校での講演と同様に責任重大な時間を担うのですから精神的な疲労度はかなりのモノになります。講演の評価は、「内容と時間」の整合性のようです。どんなに内容が素晴らしくても時間を無視されて延長されたのでは聴講者の満足感が減少するからでしょう。その兼ね合いが講師にとっては難題であるのです。まして、この時期の会場となる学校の体育館は自然冷蔵庫になります。足元が冷えてくると脳への充血どころではありません。現職教員時代には聴講者としての学びがあるからです。
講演の評価はともかくとしても、今年最後の「業務」としての請負は終わりました。疲労困憊??ではありませんが、少なくとも以前と比べれば全身の疲労度は増していることは事実です。それもそうでしょうね。講演活動の開始年齢から8歳も加齢しているのです。
請けることも億劫になるような加齢がくれば、この稼業にも終止符を打つことになるでしょうが、今朝、『腰湯』をしながら強行スケジュールを思い出しながらも、「まだ、やろうかな?」と思う気持ちになっているのが嬉しいような複雑な心境でもあります。
関係者各位のお心遣いに感謝するばかりです。
そんな時間帯に今朝一番の電話でした。県外の市教委から来年度の講座への出講依頼の電話が入りました。何だか「背中を押して」いただいたような気分でもあります。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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