~「人名が思い出せない」のは苦悩の一つ~
顔は思い出してもその人の名前が出てこないのは苦痛に近い。そんなことを数多く繰り返している内に「苦悩」だったのが「苦痛」に変わり、それが「諦め」に変色していることに気がつくと加齢の重さを痛感する。同年齢の仲間と談笑しつつ、そんな症状を確認できると何故かホッとするのは人情なのか。
孫が離れのミニ書斎に勉強しにやって来る。想定外の質問を浴びせられ、「わかっている筈」の答えが出てこない。祖父としてのプライド??そんなモノはない。しかし、応えるべき答えが出てこないのは哀しい。たかが小学4年生の孫の質問ではないか、とわが身を奮い立たせるが現状は現状である。
67歳を迎えた日に、この孫から「僕が大人になってお祖父ちゃんとお酒が飲めるように、元気で長生きしてね」と檄を飛ばされた。そこで、小生は呆ける脳みそを活性化する手段として、その翌日から「朝一番」の仕事を決めた。それは、パソコンに向かって「昨日の出来事」を時系列で書き上げることである。簡単そうで難しい。読者諸兄も一緒にチャレンジしませんか?
小生のように「毎日サンデー」(=造語)になると、曜日によってリズムに特徴があった現職時代とは異なり、「毎日がほぼ同じことの繰り返し」になってしまうので『昨日の記憶』は脳外に飛び出してしまい残像すら消えてしまうようである(笑)。訓練として課しているので、その時点での記録やメモは残さないことにしていると、昨日の午前中が「真っ白」になっていることが多くなってしまった。
老妻との歩禅の対話は、その欠落部分を舐めあう時間として有効である。
相手の記憶が途切れている部分は、不思議と自らの記憶に残っているのが可笑しい。逆も十分に成り立つので田圃道の途中で立ち止まって大声で笑ってしまう。他者が観たら『呆けた老夫婦』に見えるだろうな(笑)。
そんな対話が済んでいると「昨日の記憶」の記録は実にスムーズなのである。冗談めいて、「この対話が消えたら一気に痴ほう症状が悪化するんだろうね」、と苦笑である。変化と刺激は、現職時代に「解放されたい拷問」でもあった。しかし、こうして毎日が義務と責任から解放されると自らの強い意識改善策を持たないととんでもないことになってしまいそうである。
ご迷惑にならない程度で、「義務と責任」が伴う「変化と刺激」を求めて、来るべく平成24年も、請け負える「おしごと」に向かい合って行こうと心引き締めている師走の朝である。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿