2011/12/26

同音異義語シリーズ①


 ~「自立」と「自律」~
 写真版として搭載したのは『時に海を見よ』(渡辺憲司 著)の一部である。ここで著者が、親からも離れ、さまざまなことを遮断して物事を考え、自分の存在や自分と言う個の重さを感じて欲しい、と記している。見開き2ページだけを見ても「孤独をおそれるな」という若者へのメッセージが伝わってくる。このページの最後の行に注目したい。他人の目を気にし過ぎるあまり、自分の意志とは正反対の考えにも同調してしまい「いじめの輪姦」に身を落としてしまう若者世代への警告である。戦後の「民主教育」とやらはここまで他力本願の若者を育成するに至ったのだ。群れをなさないと不安になるような間違った孤独感を養ってしまったのである。孤独と孤立は違う。孤独の空間は寂しくもあり恐ろしさもある。しかし、少年から青年に至る時空で「孤独の醍醐味」を満喫(?)できた人間は、究極の難題に遭遇しても自力解決への懸命なあがきも可能ではないだろうか。
 世の中は扶助社会となった。素晴らしいことではあるが同時に感謝の気持ちも湧かない無感動な人間性を育てたとしたら乾燥社会ではないか。つまり、自立を育む社会ではない。自立することは、援助からわが身を切り離すことでしか育たない代物ではないだろう。言及すると、「親の支援」を親がどこでどのようにして切り離してあげるかの問題としか言いようがない。
 先だってラジオ講演で聴いた谷口浩美氏の言葉を借りよう。
 宮崎県で育った氏は地元有名校・駅伝部では超有名な選手として自立できたと確信して日体大に進学したそうだ。自立の次に立ちはだかったの「自律」だったと述懐していた。大学では高校時代のようにきめ細かな指導はもらえない。放牧状態の駅伝部だったらしい。国の親からもらう仕送り金がいつの間にか底をついてしまう。親には申し訳ないと思いつつも遣い込んでしまう。遊興費とまでは言わなくても食費も交際費も「自律心」の脆さにはどんどん食い込んでしまい中退を余儀なくされ故郷に戻って行った仲間を多く見たと話してくれた。貧乏な両親が借金を重ねて遠征合宿費を送ってくれているのを知っていた谷口氏には仲間の誘惑に踊るわけにはいかなかった。その分だけ孤独感を味わい孤立感に潰されそうであったが自立心を育ててくれた両親の顔を思い出しながら踏ん張ることが出来た。そこに「あらゆる欲望や誘惑に向かって自らが律する心」がなければ立派な大人になれない。氏の言葉には実感と言う体験が後押ししていて聴く耳を刺激してくれた。
 自立と自律の相関関係を考えてみれば、成熟しきれない大人社会がはっきり見えてくるではないか。自立できない子どもを育てる親には自律心はない。我が子を厳しく咎め、戒めながら本気の愛情で『突き放す』心こそ親にしかない自立心を育む大切な教育手法である。
学校教育もそうではないだろうか?甘い教員集団そのものが、「不毛な自立心」と「自律心の欠落」集団であるとすれば今後の我が国の教育に期待が持てなくなる。政治家集団をみても、派閥と言う群れから自立できない病状から「刹那主義」「短絡的決断」での活動に明け暮れる現実を視るにつけ我が国の将来が見えなくなってしまう。
 成長させなくてはならない時期に、成長させられる立派な(学歴や知性ではない)大人集団を作れなかった「贅沢・利便」社会の産出のツケは大きい。歴史上に汚点として残る「負の遺産」ではないだろうか。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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