2012/09/11

確かな『秋』の訪れ

 ~栗の実が「落ちる」~

 老妻が撮ることを要求した。

 彼女の仕事場である炊事場の窓の向こうに見える景色をデジカメに収めて欲しいとの要望であった。「炎天下の草刈り」(=当ブログ9月7日版)の前日の事である。西日に照らされて「パックリと開いた」毬の中から、数個の栗の実が炊事場から見え始めたようだ。老妻は茶褐色に光る栗の実が「落ちる」前に撮って欲しかったようだ。

 老妻は九州山地の麓で生まれているので「栗の実」との馴染はある。当方は有明海に面する浜辺で生まれているので高校卒業するまで「栗拾い」という語義も知らずに育っている。その両者が栗林と言う自然界と隣り合わせの生活を始めてもう1年半近くになる。栗の実の収穫(=秋)時期も二度目を迎える。

 きれいに刈り取られた広い栗林を農家の方が歩き回っておられる。その姿が、今年はどんな状況下にあるかがわかる。収穫が始まったのである。つまり「栗拾い」作業が開始されたのだ。

 早朝歩禅の散歩人との会話は、「今日も暑くなりそうですね」であることは変わっていない。夏の朝の会話と交わす言葉に変化はないが、農業を営む人たちの行為には、確かな『秋』がやって来たようだ。

 大好物の栗が収穫される隣接地である。直営売店にも近々に「新・栗」が売り出されることだろう。もう、あれから1年が過ぎたのか!そんな思いで写真を眺めている朝である。
 
早朝歩禅記録 05:00~05:50【6200歩】
太陽が昇る前の朝空は幻想的です。嬉しい予感ばかりではありませんが、期待感に膨れる思いで「おはようございます」と声を掛けながら歩きます。太陽の光線(直線)が何とも言えない希望を運んでくれます。帰路でこんな花を見かけました。毎度のことながら花の名前は存じ上げません(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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