学校という業界に勤務すると、「出版社」という教育産業界との接触や付き合いが多くなる。人と人との付き合いは「異種業界」であろうが、惹かれあって個人的な付き合いになることも多い。
神奈川県の教員として採用された小生は、茅ヶ崎市に住居を設け(小田原市~藤沢市と転勤しつつも)長い期間を茅ヶ崎市の小中学校での教員生活を続けた。自宅の玄関先で多くの出版社の営業マンの訪問に対応した。地区担当者としての「挨拶廻り」がほとんどであるが、その中の幾人かと親しく会話が出来る関係にもなった。
その内の一人から訪問の前夜に電話を受けた。
名乗った出版会社名と同時に営業担当者の氏名は浮かんできた。当然ながら顔も浮かんできた。ここは、茨城県であって神奈川県ではない。しかも、もう現役を退いて9年も経っていて直接の関係を有していない。翌日の午後日程での訪問の許可申請であった。懐かしさで「歓迎の意」を伝えて電話を切った。
翌日は上司と一緒の来訪である。
「この度、会社を辞めることにしました。何年来と夢を育んだ企業を友人と起ち上げる事に意を決しました」との口上に度肝を抜かれて戸惑った。彼の新採用時代からの付き合いである。当方が主宰する教育実践『響の会』のセミナーにも数多く(有料・自費にて)参加をして、懇親会では会員教員と膝を突き合わせて教育談義を深めていた同士でもある。
15年間勤務した業界を離れて異業種への転換を計る。
偉そうなことは言えないが、「健康でなければ志を成し遂げることは出来ない」とだけは伝えた。今更、後戻りは出来まい。しかし、意を決した上で弱音も禁物である。家族ぐるみのお付き合いで奥様ともお子さんとも親しい間柄なので、「家族のためにも頑張るんだよ」と言い渡して玄関で見送った。
当方の、唯一の拙著『あせらない あわてない 諦めない』(=教育出版社)【写真右】の発刊には一方ならぬ尽力を惜しまなかった彼である。感謝するのは当方の方である。上司までご同行いただいて「退社のご挨拶」とは畏れ多く感じてしまった。
元気で活躍されんことを、祈るばかりである。
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