2012/09/21

転居先への来訪者

 ~「人生の転換期」を考えた~

 学校という業界に勤務すると、「出版社」という教育産業界との接触や付き合いが多くなる。人と人との付き合いは「異種業界」であろうが、惹かれあって個人的な付き合いになることも多い。

 神奈川県の教員として採用された小生は、茅ヶ崎市に住居を設け(小田原市~藤沢市と転勤しつつも)長い期間を茅ヶ崎市の小中学校での教員生活を続けた。自宅の玄関先で多くの出版社の営業マンの訪問に対応した。地区担当者としての「挨拶廻り」がほとんどであるが、その中の幾人かと親しく会話が出来る関係にもなった。

 その内の一人から訪問の前夜に電話を受けた。

 名乗った出版会社名と同時に営業担当者の氏名は浮かんできた。当然ながら顔も浮かんできた。ここは、茨城県であって神奈川県ではない。しかも、もう現役を退いて9年も経っていて直接の関係を有していない。翌日の午後日程での訪問の許可申請であった。懐かしさで「歓迎の意」を伝えて電話を切った。

 翌日は上司と一緒の来訪である。

 「この度、会社を辞めることにしました。何年来と夢を育んだ企業を友人と起ち上げる事に意を決しました」との口上に度肝を抜かれて戸惑った。彼の新採用時代からの付き合いである。当方が主宰する教育実践『響の会』のセミナーにも数多く(有料・自費にて)参加をして、懇親会では会員教員と膝を突き合わせて教育談義を深めていた同士でもある。

 15年間勤務した業界を離れて異業種への転換を計る。

 臆病者の、世間知らずの小生は「学校教育」の業界しか知らずにこの歳まで生きて来た。40歳を前にして「新しい企業」に挑戦しようとする意気込みには敬意を表するばかりである。

 偉そうなことは言えないが、「健康でなければ志を成し遂げることは出来ない」とだけは伝えた。今更、後戻りは出来まい。しかし、意を決した上で弱音も禁物である。家族ぐるみのお付き合いで奥様ともお子さんとも親しい間柄なので、「家族のためにも頑張るんだよ」と言い渡して玄関で見送った。

 当方の、唯一の拙著『あせらない あわてない 諦めない』(=教育出版社)【写真右】の発刊には一方ならぬ尽力を惜しまなかった彼である。感謝するのは当方の方である。上司までご同行いただいて「退社のご挨拶」とは畏れ多く感じてしまった。

 元気で活躍されんことを、祈るばかりである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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